「振り落とされる人生だった」8歳でハロプロ入り、試練を乗り越えた鈴木愛理が見つけた"自分らしさ"

「懐かしすぎてゾッとします。……やだー!感情迷子!(笑)」

机に置かれたCDを眺め、照れ笑いを浮かべながら、当時小学生だったあの頃を思い出す。

「これすっぴんなんですよ(笑)。髪型も、美容院まで指定されていて……」

2002年、約3万人の中から「ハロー!プロジェクト・キッズ」に選出され、2005年に「℃-ute」を結成。2017年のグループ解散後はソロで活動するアーティスト、鈴木愛理。

圧倒的な歌唱力とパワフルな歌声、時折八重歯をのぞかせるまぶしい笑顔が武器の、別名"アイドルが憧れるアイドル"。

その裏には、小学生にしてかみ締めた"選ばれない"悔しさ、自己紹介をしてまわった地道な活動、苦しい状況に「グループを辞めたい」と直談判したこともあった。

ハロプロ加入から今年で20年。鈴木愛理は多くの楽曲とともに、どのように試練を乗り越えてきたのだろうか。


9歳で"どうして恋人になれないの"

鈴木愛理が初めて手にした"自分たちの楽曲"は、田中れいな、夏焼雅と2003年に結成されたユニット「あぁ!」の「FIRST KISS」だった。

「それまではバックダンサーとしてしか出たことがなかったステージで、マイクを持たせてもらえる、歌割りをもらえるというのはやっぱり感覚が全然違いました」

「ただ、当時はまだ9歳だったので何を歌っているのか全然わかっていなくて(笑)」

あぁ!「FIRST KISS」ジャケット

「どうして恋人になれないの」「じゃどうして口づけをしたのあの夜」「他に好きな人がいたの私」。小学3年生に歌わせるにはあまりに大人びた歌詞が並ぶ。

「お母さんに歌詞の意味を聞いたんですけど……うまく説明できないって言われて(笑)」

歌詞の内容だけでなく、表現や間奏のフェイク、歌唱面でも求められるレベルは高かった。

「つんく♂さん直々にレコーディングをしてもらったんですけど、何を言われたか何にも思い出せないんです。すべてが"一種のオーディション"みたいな感じだったので、とにかく必死でした」

歌割りは事前に決められておらず、レコーディングでフルコーラスを歌い、各々の歌声が出そろってからパートが決定した。

つんく♂氏の歌う仮歌を繰り返し聴き、"ハロプロ節"を必死に叩き込んだ。

ハロプロ・キッズの中から選ばれるバックダンサーの座も、すべてが実力主義のオーディション。

晴れてバックダンサーになれたとしても、リハーサル後に残され、うまく踊れるようになるまで帰れないという指導も当時はあったという。

「あぁ!としての活動は『FIRST KISS』以降はしばらくなくて、その後はハロプロ・キッズとしてバックダンサーをしていたので、ずっと"振り落とされる人生"って感じでした」

「そうしているうちに、同期のハロプロ・キッズ15人のうち8人で『Berryz工房』が結成されたんです」

Berryz工房のデビューが決まり、残された鈴木愛理を含む"選ばれなかった"7人は悔しさをかみ締めた。

Berryz工房結成当初は、ハロプロ・キッズ7人とメンバーとが入れ替わる可能性も示唆されていた。

「私もBerryz工房になれるかもしれない」。希望を胸に、ステージを袖からかじりつくように見つめ、いつでも交代できるように必死にダンスを練習した。

結局メンバー交代制が実現することはなかったが、2005年、残されたハロプロ・キッズたちにようやくチャンスが巡ってきた。


スケッチブックを手に

全国へ"どさ回り"

2005年6月11日、ハロプロ・キッズ7人での「℃-ute」結成が決定。2006年1月にはもう1人のメンバーが加わり、℃-uteは8人グループとして歩み始めた。

しかし、大々的にメジャーデビューしたBerryz工房とは対照的に、℃-uteはインディーズからの出発だった。

「まっさらブルージーンズ」「即 抱きしめて」「大きな愛でもてなして」「わっきゃない(Z)」の4曲をひっさげ、℃-uteの原点ともいえる全国のショッピングモールライブが始まった。

「名前を書いたスケッチブックを手に、自己紹介をしてまわるんです。ショッピングモールなので、私たちのことを知らない人が目の前にも後ろにも大勢いて」

「どうしたら足を止めてもらえるか、小さい頃から無意識に考えていました」

℃-ute「桜チラリ」ソロ写真

地道な活動を経て、「桜チラリ」で待望のメジャーデビューを果たした℃-uteだが、自身にとって印象深い楽曲はインディーズの4枚目として発表した「わっきゃない(Z)」だという。

「メジャーデビュー曲も思い入れはありますけど、やっぱり『わっきゃない(Z)』がすごく濃いですね。実は℃-uteの曲として初めてもらった楽曲なので、初披露はすごく覚えています」

℃-ute「わっきゃない(Z)」ジャケット

「今までバックダンサーとして参加していたハロプロ全体のライブに℃-uteの枠が増えて、『わっきゃない(Z)』を披露したあの瞬間、やっとグループの名前を背負ってやれるんだって。いろんな思いがあふれてきて、今でもイントロで泣けちゃう」

「絶対に負けない」。肩を並べるハロプロ・キッズ同士で競ってきた思いが、℃-ute結成でグループの団結力に変わった。

選ばれない悔しさがやっと報われた瞬間だった。


「辞めたい」会社に初めて意見した"SHOCK事件"

2007年2月に念願のメジャーデビューを果たし、同年の日本レコード大賞では最優秀新人賞を受賞。紅白歌合戦にも出場するなど、℃-uteとして忙しくも充実した日々を過ごした。

しかし、それからわずか3年弱。メンバーの脱退や卒業が相次ぎ、8人でスタートしたはずの℃-uteは、5人でよみうりランドのステージに立っていた。

「2009年にメンバーが5人になって、5人体制で初の楽曲『SHOCK!』を初めて披露したのがそのライブだったんですけど……」

「私がずっと歌割りをいただいている曲で、歌い始めたら信じられないくらい気まずい空気になって」

℃-ute「SHOCK!」ジャケット

1番のサビが終わり、2番が始まってもなお鈴木愛理のみがメインで歌い続ける状況に、鈴木愛理のファンを含め会場全体が重苦しい空気に包まれた。その光景を前に、自身も謝る思いで歌い続けたという。

「ライブ前に、メンバーカラーの変更もサプライズで発表したんです。ライブ後の握手会で『ピンクは似合わないよ』『なんで愛理ばっかり歌ってるの』って言われたり、順番を飛ばされたり。その日はいろいろとしんどかったです」

その日ステージに立つまでも苦しかった。

「SHOCK!」レコーディング時には咳が止まらず何度もやり直した。

ダンスの先生からの「センターの鈴木が輝いていないから℃-uteも輝いていない」という言葉に悩み、ハロプロの先輩である高橋愛に相談したこともある。

当時中学3年生、思春期真っ只中の鈴木愛理とメンバーたちの関係性がギクシャクしてしまうこともあったという。

「この体制が続くなら辞めたい」と会社に初めて意見したのもこの時だった。

「当時は本当にいろいろな意味で…"SHOCK"でしたね(笑)」

いつもと変わらない、屈託のない笑顔で鈴木愛理は話し続ける。当時のことを笑って振り返ることができるようになるまでに、どれだけの時が必要だったのだろう。

「まだ小さかった自分には重かったですけど、すべてちゃんと乗り越えて、解散ライブでも℃-uteとしてこの曲を歌えたので心残りはないです」

「あの時期のことをこうやって話せる自分がいてよかった」


リハーサルでみんながざわめいた曲

激しいダンスパフォーマンスとは裏腹に、全くブレない伸びやかな歌声。5人体制となった℃-uteには、いつしか「歌って踊るグループ」というイメージが定着していった。

それを印象付けたのは、2010年にリリースされた「DANCEでバコーン!」だったかもしれないと鈴木愛理は振り返る。

℃-uteメンバーがグループの進みゆく方向性を予感したのは、意外にもリハーサルの舞台上だった。

「ハロプロ全体のライブが年2回あるんですけど、そこで他のグループの新曲を聴くことになるので、そのリハーサルは身内の新曲発表会みたいな空間なんです」

「ダンバコ(DANCEでバコーン!)のリハの時に後ろ向きでスタンバイして、イントロで振り返った時、みんながざわめいたのがわかって。新しいワクワクと期待を肌で感じた瞬間でした」

このリハーサルを機に、シングル「Kiss me 愛してる」やコンサートツアー「ダンススペシャル!!『超占イト!!』」など激しく踊り歌うステージが続いた。

後期℃-uteのベーシックスタイルが鮮明になった。


「武道館に神様が…」楽曲が一人歩き

一方で、嗣永桃子、夏焼雅と結成された「Buono!」というユニットのメンバーでもあった鈴木愛理。

後のアイドルシーンに多大なる影響を与えた楽曲「初恋サイダー」を生み出したBuono!の転機は、大勢のアイドルが一同に集結した2012年の「指原莉乃プロデュース 第一回ゆび祭り〜アイドル臨時総会〜」だった。

Buono!「初恋サイダー」ジャケット

「体調を崩してライブを休んだことは今までに一度もないんですけど、鼻炎持ちで鼻風邪はひきやすいんです。ゆび祭りの時は一週間前くらいから体調を崩して、点滴を打ってもらってライブに臨みました」

「でも、リハーサルで全然声が出なくて。1曲目の『初恋サイダー』は最初のパートが私なので、"ロックの神様降りてこい!"って、願いながら舞台に立ちました」

「そしたら、本番だけ神様が降りてきたんです!」。つい先日起こった出来事かのような熱量で、鈴木愛理は回想する。

「本当にこれまで頑張ってきてよかった、ありがとう神様!って思いました」

リハーサルで全く出なかった声が日本武道館に響きわたり、観客たちの声援が会場を揺らした。

神様に救われたあの奇跡のライブから「初恋サイダー」が一人歩きを始め、他のアイドルグループなどもこぞってカバーするようになった。

「数年後にソロで『初恋サイダー』を歌ったら、『愛理ちゃんもカバーするんだ』って言われたくらい(笑)。それがすごく嬉しかったんですよね」

「ももちが芸能界を引退しているので、Buono!として歌える機会ってもうないじゃないですか。だから曲だけでも愛され続けていくのがすごく嬉しいんです」

「ただ、グループ時代の曲を1人で歌うことにはとまどいもありました。曲への愛情が重いんです(笑)。"あの子が歌うから意味があった"みたいな歌割りも絶対あるから、みなさんの夢を壊したくないというか」

「Buono!も℃-uteも、デビューとか解散の時の曲はそのメンバーとしか歌いたくない、っていう超頑固なこだわりがあるかもしれないです」


残された"空っぽ"な自分

℃-ute解散ライブ

2017年6月、多くのファンに惜しまれながら℃-uteは解散した。その1カ月前の5月にはBuono!のラストライブ、さらにその2カ月前の3月には大学卒業と、これまでに積み重ねてきたものが同時期に終わりを迎えた。

8歳から15年間、立ち止まる暇もなく走り続けてきた鈴木愛理を虚無感が襲った。

「『あ、空っぽだ』って思いました。解散後すぐに活動を始めているメンバーもいたけど、私は1人だけ宙ぶらりんで。Instagramしかやってない!って(笑)。世の中に忘れられちゃうんじゃないかっていう不安がありました」

ソロデビューまでの半年間で、やらなければならないことはたくさんあったが、準備に追われる中で自分を見失うこともあったという。

「アイドルの時は、与えられた楽曲に対していかにアウトプットしていくかを考えていました。でもソロになってから、『愛理ちゃんは何がしたい?』って聞かれて」

「そんなの初めて言われたんです。自分のしたいことがわからない、あんなに歌が好きでこの世界に入ってきたのに、わからなくなっちゃってる!って」

「それがすごくショックで、これで合ってるのかな、大丈夫かなって自問自答の繰り返しでした」


「雑味が欲しくて」開けた引き出し

ソロデビューを果たした後も、グループで活動していた時期の自分とソロの自分とを比べては"自分らしさ"をつかもうともがいた。

歌やパフォーマンスへの「安定している」という周囲からの称賛が、どうしても「個性がない」という言葉に変換され聞こえてくる。

「正統派じゃない感じというか、"雑味"が欲しくて、ソロとしての1stアルバムではいろんな引き出しを開けようと思いました」

アイドル時代にはできなかった音楽やダンスに挑戦する中で、自身が想像もしていなかった"鈴木雅之とのデュエット"のオファーが舞い込んだ。

「私で大丈夫ですか……?って、話がきた時は本当にびっくりしました。でも、チャンスは絶対につかみたかったんです」

「『どの引き出しを開けようか』『どれが自分の歌声か』なんて考える余裕もなく、とにかく今できる"100"を出そうと決めました」

こうして生まれた「DADDY!DADDY!DO!feat. 鈴木愛理」は、TVアニメ「かぐや様は告らせたい?〜天才たちの恋愛頭脳戦〜」のOP曲として、新たな層に鈴木愛理の歌声が広まるきっかけにもつながった。

「『DADDY!DADDY!DO!feat. 鈴木愛理』は、ソロになってから無意識に使わないようにしていた、アイドル時代の一番大きなギアがドーン!って上がった感じがしました」

「"アイドルモードの私"なんじゃなくて、これが私なんだって」

「15年間アイドルとして頑張ってきた自分のことも認めてあげられて、私はこれでいいんだって再確認したのがマーチンさんとのデュエットでした」


初めての経験にあふれた涙

ソロデビューから今年で4周年を迎えたが、2020年には新型コロナの影響で活動を制限せざるを得ず、同年4月には横浜アリーナ公演の中止を余儀なくされた。

「あの時期は内向的になる人がすごく多かったですし、私自身も予定していた仕事がなくなるっていうことを初めて経験して、めっちゃ落ち込んで、どうしようもない涙があふれて」

「でもコロナ禍で、音楽に対する考え方が変わりました」

「Easy To Smile」MVサムネイル

アリーナ公演中止から3カ月後に公開したMV「Easy To Smile」がそのきっかけとなった。

"みんな楽に笑おう、自分らしくいこう"というメッセージを込め、日常を自撮りした映像で構成されたMVには「コロナ禍に勇気づけられた」「明るい楽曲なのに涙が出た」というファンからのコメントが相次いだ。

「小学生の時、"人に勇気や感動を与えられる歌手になりたい"ってプロフィールに書いてたんですけど、それは親と相談して考えたもので」

「コロナ禍を経験して、本当に自分の心からその言葉が出る年齢になったんだって気づきました」

「つらい思いをしている人にパワーを与えたい、生きるのをやめちゃおうかなって思っている人がいるとしたら、その人がもう一日だけ生きてみようって思えるような存在でありたい。その方法がたまたま音楽だったってだけでいいから、自分のパワーを音に乗せて伝えられるように歌いたいって」

「パワーを与えるには、ファンにも、自分にも嘘はつけない」という思いを胸に、2年9カ月ぶりとなるCDシングル「ハートはお手上げ」は、より素直な自分で挑んだ。

「ハートはお手上げ」ジャケット

「表に立ち続ける理由が自分の中ではっきりしたので、『ハートはお手上げ』みたいなアイドルアイドルした感じの楽曲も一周まわってやり切れるようになりました」

「人が喜んでくれることをやりたいっていうのが根本の私だって気づけたんです」


聞かれたくなかった

"どうなりたい?"の問い

8歳で音楽の世界に飛び込み、多くの試練に真っ向から立ち向かってきた勇敢なアーティスト・鈴木愛理。

自分を見失っていた時期に一番聞かれたくなかった「どういうアーティストになりたいか」という質問にも、今なら真っすぐに答えられる。

「明日をちょっとでも頑張って生きる"かけら"になりたい。一瞬でも私に関わってくれて、自分の一度しかない人生を削ってライブにも来てくれるファンの方がいて」

「パワーをもらっているからこそ与えられるんです。どういう活動の仕方であれ、そういうマインドでパワーを送り続けられるなら表に立っていたいです」


鈴木愛理公式サイト


Staff Credit

Text: 荒川のぞみ(LINE)

Photo: 飯本貴子

Movie: 江草直人

Edit: 前田将博(LINE)


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