「この声、何…!?」30代で突然訪れた体の変化。工藤静香はいかにして年齢と向き合ったのか

「白髪? ホワイティーとは、まあまあ仲良くしています。仕方ないです。勝手に寄り添ってくるので」

今年3月、Instagramでちゃめっ気たっぷりに投稿したのは工藤静香だ。「おニャン子クラブ」の中心メンバーとして活躍し、ソロアーティストとしても不動の人気を誇ってきた彼女の飾らない投稿は大きな反響を呼んだ。

80年代には「MUGO・ん…色っぽい」「嵐の素顔」など大ヒット曲を歌い、90年代にはアニメ「ドラゴンボールGT」のED曲「Blue Velvet」、00年代には映画「ふたりはプリキュア Max Heart」のED曲「心のチカラ」をリリースするなど幅広く活躍し、今年でソロデビュー35周年を迎えた。

長く活動をしていると変化もある。工藤自身も、結婚・出産を経て今年52歳になった。

「好きじゃない変化もあるけど、嘆くのは好きじゃない。新しい自分として生きていけばいい」

揺らぐことのないポジティブマインドはどこからくるのだろうか?

ビールケースのステージで歌った14歳

「仕事というものは、一生懸命やってもうまくいかないこともある。14歳ぐらいの時に、学びました」

そう語るように、初めてのアイドル活動は「全く売れなかった」という。14歳で加入した「セブンティーンクラブ」のデビュー曲「ス・キ・ふたりとも!」は、「鈴木くん」と「佐藤くん」という人気スナックのCMソングに選ばれたものの、売り上げは渋かった。

工藤自身、まだ右も左も分からない年齢だったが、自分たちの評価はなんとなく理解していた。

「歌う場所がユニークでした。ビール箱を逆さにした簡易ステージとか、デパートの屋上で歌ったこともありました。お客さんは全くいないけれど、デパートで働いていらっしゃる方が見に来てくださったのをすごく覚えています」

カラッとした声で「今思えば、タイアップを取ってくるのも大変だっただろうし、レコード会社に申し訳ない気持ちがあります」と笑いながら振り返る。

「悔しいとか悲しい気持ちはあまり湧きませんでした。一生懸命でそれどころじゃなかったし、私は物事に対して『つらい』と思わないようにしている性格なので」

「私がいなくても、分からないんじゃない?」

おニャン子クラブというブームを起こしたアイドル活動時はいたって冷静だった。

「自分に期待をしなくなっていたので、夢が満ちあふれているということはありませんでした。もしかしたらソロデビューできるのかな、なんてことは一切考えていなかったです。人数も多かったので『私がいなくても、分からないんじゃない?』と思うことも多かったです」

「メイクをする時、鏡のある席に座るのは人気メンバーでしたから、私はトイレに行ってササッと済ませていました。人気な子がそこに座るべきだと思っていたので、座りたいとも思ってなかったし、逆にそれが気楽だったかもしれません」

おニャン子クラブメンバーで最後のソロデビューが決まった時も冷静だった。ある日突然、番組のプロデューサーに「おい静香、デビューするぞ」と言われ「はい」と応えた。

「うれしいより……最後のデビューという言葉が重くて、次に誰かデビューしてくれないかなと思いましたね」

「禁断のテレパシー」ジャケット

この気持ちが「うれしい」に変わったのは、デビュー曲「禁断のテレパシー」のデモを聴いた時だ。少し聴いただけで「かっこいい!」と耳がうずいた。

「急に呼び出された夜のプールバー」「ドアの開け方でも機嫌ぐらいわかるわ」といった歌詞は、頭に大きなリボンをつけて歌ってきたものとまるで違う雰囲気だった。

「ソロデビューに対する期待はなかったけれど、純粋にかっこいい曲を歌えることに感激しました」

当時17歳。それまで工藤は、アップした髪型に"ふんにゃり"した雰囲気で人気を博した。一方、ソロ活動では髪を下ろし、時にはぶどう色のリップを塗り、クールな雰囲気をまとった。

「この声じゃない」自分の声を改造したかった

順調にソロアーティストとして確固たる地位を築く中で、迷った時期もある。17枚目のシングル「声を聴かせて」の時だ。

「声を聴かせて」ジャケット

「自分の細くて高い声が曲に合ってないと感じたんです。『この声じゃない!』と。曲は素敵なのに、自分の声が合ってない。ハスキーボイスのように、しっくりと落ち着いた声になりたかった。日本酒でうがいをして自分の声を改造しようともがきました(笑)」

歌い方を変え、なんとか仕上げたものの、工藤いわく「機会があったらまた歌い直したい」苦い1曲になった。当時23歳。自分の声に対する不満が爆発したのだろうと工藤は分析する。

「アイドルらしい声のイメージが自分の中で出来上がってしまったんだと思います。『声を聴かせて』以前もかっこいい楽曲は歌ってきたのに、なぜか突然自分の声がおかしく感じてしまった」

不完全燃焼した1曲の後、多忙なスケジュールをこなしながら「何に迷っているんだろう? どう足掻いても、この声で生きていくしかない」と腹をくくった。「ようやく自分の声をよく理解できたのかもしれません。高い音ではないのに、高く細く聴こえるこの声を」。

「慟哭」ジャケット

18枚目のシングル「慟哭」は、迷いから脱した1曲だという。

男友達から恋人を紹介され、自分の本心に気づく失恋ソングは「ひと晩じゅう泣いて、泣いて、泣いて気がついたの」「おまえも早くだれかをさがせよとからかわないで」と切ない歌詞が耳に残る。悲しい曲を、工藤は持ち前の声で明るく歌いきり、このギャップは世間を驚かせた。

「ものすごく悲しい歌だから、つらく歌いたくないと思いました。応援歌のように歌いたかった。『こういう想いからは、卒業しよう!』という気持ちで、一晩泣いた後、次に踏み出せるように」

目を合わすだけで目まいを

起こしてしまう存在

工藤の声が失恋で傷ついたリスナーの心を軽やかにし、「慟哭」は自身最大のヒット曲となった。悲しい歌を明るく歌うのは「慟哭」など数々の楽曲を提供してきた中島みゆきの影響があるのかもしれない。

「みゆきさんは……キラキラしていてこの世の人とは思えない存在です。学生の頃には音楽室の掃除に挙手して、掃除中に爆音で聴いていたのを覚えています。『あたいの夏休み』『やまねこ』『悪女』……みゆきさんの存在そのものが好きなんでしょうね」

「あの人が発する歌と震えた声が私に刺さって抜けない。みゆきさんってね、悲しい歌を悲しい顔をして歌わないんです。もちろん、時折憂いを帯びた表情をされるんですけど、笑うことすらあるの。もう……たまらない」

楽曲提供を受けるにあたり、中島と打ち合わせをすることもあった。その時の様子を、工藤は熱量たっぷりに、まるで自身の代表曲「MUGO・ん…色っぽい」のような思いを吐露した。

「みゆきさんがノートを持ってきて、私に話を聞いてくれるんですけど……好きすぎて、目を見て話すだけで目まいがしちゃう。一生懸命話したんですけど、打ち合わせしていると、たまに目が合うじゃないですか」

「目が合うってことは、みゆきさんも私の顔を見ているってことでしょう? もう……無理。好きすぎて……緊張という言葉じゃ足りない。今でもみゆきさんにお会いすると、心臓がバクバクします」

何事も「ダメもと」

1人のアーティストとして大きな決断をしたこともあった。1994年にリリースした「Blue Rose」では、おニャン子クラブ時代からプロデュースを手掛けてきた後藤次利のもとを離れ、セルフプロデュースに踏み切った。

「アイドルがプロデュースすることは珍しい時代だったので、覚悟がいりました」と当時を振り返る。

「Blue Rose」ジャケット

「何か変える気持ちが強かった。『Blue Rose』は、やったことのないジャンルだったので、周りからは『まだ早い』『今じゃない』という意見が多かったんです。でも、どうしてもやりたかった」

「かといって他の人には頼めませんでした。なので全部自分で責任を背負い、作家さんの打ち合わせから全てやりました。曲が完成した時は、これまでにない感動がありました」

「私はやる前から『できない』と口にするのが嫌いなんです。だから一回『無理です』と言われても『もう一度確認してください』と簡単には引き下がらない(笑)。ダメでもともと聞いてみるのが好きです。チャレンジした結果、最悪なことが起きることを想定して、それでもやりたかったら一歩踏み出すようにしています」

「否定的な意見は、一回考えるようにします。何か言ってくださるということは、興味があるってことだから、ご意見はありがたく頂戴します。周りの人の意見はしっかり持ち帰って、受け入れていきたいです」

年齢を重ね、変わった声

常に自分でかじを取り、アーティスト活動を初めて35年が経った。今ではインターネットを介して若い世代からも愛されるようになった楽曲を抱え、満を持してセルフカバーアルバム「感受」をリリースする。改めて名曲たちを歌うと、自身の変化に気がついたという。

「昔は『愛している』という歌詞は異性に向けて歌っていました。でも、今では『愛している』の対象は、異性にとどまりません。幅も深みも増した『愛している』になっていることに気が付きました」

「その他にも、当時『切なさ』を感じていた物事も、軽く捉えられるようになったり、その逆もあったり。年齢や自分の状況によって全然違う表現になるので、とても新鮮でした。それも、楽曲自体にすごく力があるからだと思います」

年齢を重ねることで表現の幅が広がったものの、体の変化も感じた。

「『恋一夜』はプロデューサーの渡辺有三さんが『静香が苦しそうに歌っているのが好きなんだよね』とおっしゃってくださっていたものなんです。有三さんが亡くなった時、『一生キーを下げないで歌うから』と宣言したんですけど……下げましたね(笑)」

破顔しながら恥ずかしそうに話す。

「恋一夜」ジャケット

「原曲キーでも歌えますが、いい声ではない。逆に、今回は大人っぽいアレンジをしていただいているので、半音下げた方がバランスも取れる。なので、天を仰いで『有三さん! 半音下げるよ!』と声に出して空に叫びました。屋上ではっきりと(笑)」

「声が変わるなんて嫌なことですが、足掻いても仕方がない。黒髪に白髪が混ざるように、当然のことだから」

全ての変化は

恐れることなかれ

かつて20曲歌っても枯れなかった喉が、5曲で枯れることもある。第一線を走り続けてきた工藤にも、思うようにいかないこともあるのだ。ただ、工藤によると「今よりも30代の時の方が、声の変化に戸惑った」という。

出産を機に声質がガラリと変わったように感じたのだ。周りのスタッフは「変わっていない」とフォローするも、自分の歌声に「この声、何…!?」と慌てふためいた。

「客観的に見るとそれほど変わっていないのかもしれないけど、出産をするとホルモンバランスが変わるとか、髪の毛が抜けてしまうとか、体の変化がいろいろとあります。でも、30代で声が変わるなんて思ってもみなかったから、精神的にも参りました」

どのように、変わってしまった声を受け入れたのだろうか? 工藤は、顔をクシャッとさせて「歌って歌って歌いまくった」と明かした。たくさん歌っているうちに、徐々に自身の変化を受け入れられるようになっていった。

声が変わったことは、悪いことばかりではない。ずっしりとしたバラードは伸びやかな声で歌えるようになり、新しい境地を開いた。憧れの中島みゆきの名曲も、いつしか自分の声に合うようになってきた。

2021年には中島みゆきのカバーアルバム「青い炎」をリリース。さらに2022年には「今の静香ちゃんにぜひ歌って欲しい」と13年ぶりに楽曲「島より」を提供された。

「変わってしまったものを戻すことはできないのだから、自分の精神を変えることにしました。前の自分は過去のもの。新しい自分の理想を作っていけばいいと思うようになりました。顔のシワも、白髪も声の変化も受け入れながら上手に生きていきたい」

自身の変化を受け入れることにした。これが工藤静香の新しい生き方だ。

「年を取るにつれて、やることが増えてくるの。取材前にパックをするとか、白髪染めしなきゃとか。その都度その都度、その工程を楽しむことはできます。全部、頑張った証拠。全ての変化を恐れることなかれ、です」

「周りの声に惑わされて、元気をなくしたり、落ち込んだりするという話はよく聞きます。私なんて、この前『髪型もメイクもキマって肌の調子もいいな』と思って出掛けたら『疲れてるね、大丈夫?』って言われてしまい……(笑)。最悪でしょう?」

「みなさん、周りの声に落ち込みそうになったら、そんな私を思い出して元気になってください」

衣装協力:Louis Vuitton


Staff Credit

Text: 嘉島唯(LINE)

Photo: 黒羽政士

Edit: 前田将博(LINE)


Articleとは?

NAVERから2022年6月にBeta版としてリリースされた、簡単に表現豊かなコンテンツを作成することができる新しい投稿プラットフォームです。写真、イラスト、動画、音声、テキストなど、様々な表現に最適化された"Stylizer"を利用し、より美しく表現できます。

https://article.me/about


Written by

LINE NEWS編集部