思わず無事を祈ってしまうほど…女性たちの葛藤が生々しい『明日、私は誰かのカノジョ』

これは現代社会における”知られざる戦争”を描いた作品なのかもしれません。

こんにちは、フリーアナウンサーの松澤千晶と申します。

この度、漫画についてコラムを書くことになりました。

大好きな作品は数あれど、何か新しいものに触れたいと思い、軽い気持ちでクリックしてみたところ、のめりこむように読み終え、日夜そのことしか考えられなくなってしまった作品があります。

それがこちら、ドラマ化もされ大ブームとなっている『明日、私は誰かのカノジョ(明日カノ)』です。

『明日、私は誰かのカノジョ』(をのひなお) 1巻表紙 ©️Hinao Wono/Cygames, Inc.

少女たちの苦悩で紡がれる『明日カノ』の世界

流行に疎く、おばさんであることを楽しんでいる傍ら、若い人に人気の漫画はどういったものなのだろうと市場調査のような感覚で触れてみた『明日カノ』の世界。

本来は『ジョジョの奇妙な冒険』や『封神演義』といったバトル描写のある少年漫画が好きで、色恋沙汰やキャンパスライフを描く作品にはあまり関心のない人間でしたが、『明日カノ』は…現代社会における知られざる戦争なのだ…と衝撃を受けたのです。

『明日カノ』について簡単にご説明いたしますと、主人公は学生から社会人のような年齢まで様々な、どこか生き辛さを抱えた女性たち。各章で異なる主人公による物語が描かれるオムニバス形式になっていて、時にすれ違い交錯するゲーム『サガ・フロンティア』のように展開される作品です。彼女代行業、パパ活、整形依存、ホスト依存、スピリチュアル信仰…興味関心はあれど、通常はなかなか踏み出すことの出来ない世界が描かれています。

生々しさにコメント欄には主人公たちを心配する声も

そもそも筆者の学生時代には『明日カノ』で描かれている彼女代行業やパパ活といったものはなく(援助交際のような近しいものはありましたが別物だと思いますので)インターネットで見聞きする最近の文化といった捉え方でした。

それが、この作品においては彼女代行業やパパ活をしている女の子たちの葛藤や苦悩などが何故か手に取るようにわかる生々しさがあり、1話読むと次の話数まで彼女たちの無事を祈ってしまうほど。

彼女代行業をしている雪が最初の主人公『明日、私は誰かのカノジョ』1巻より

©️Hinao Wono/Cygames, Inc.

作品に登場する雪、リナ、あやな、萌、ゆあてゃ、伊織ちゃん、そして菜々美さん…皆、幸せになってくれと思わずにいられません。

どの女性も嫌いになれず、共感を抱けるような物語になっていて、何より事細かな描写によるドキュメンタリー性。一体、この作品の作者さんは何者だろうと思うほどです。

ちなみに連載されている漫画アプリでは毎回コメント欄がライブ配信の如く盛り上がっており、私はこのコメント欄も作品の一部のように感じています。

コメント欄には、親戚のように彼女たちを心配するコメントはもちろん、作中に登場するおじさんやホストさんを叱りつけるものから謎の大喜利まで。『明日カノ』は誰かの人生を覗き見ている感覚が強く、その上、コメント欄にオーディエンスが存在することで物語の奥行きが広がると言いますか(このような反応は昔からあったとは思いますが、可視化されることによって)もはや二次元と三次元は分けて考えられないものになっていると感じました。

結局、自分を幸せにできるのは自分だけ

お話を物語に戻すと、私が一番好きなのは風俗店で働く伊織ちゃんとライブ配信アプリで「歌い手」をしているバシモトくんの物語。「これはお早めにお召し上がりください案件だ!」とページをめくる手が止まりませんでした。

交際時のことを元カノにネットで晒され、炎上したことに落ち込むバシモトくんが伊織ちゃんの風俗店を訪れたのが2人の出会いのきっかけ。バシモトくんのファンの子たちの「推し事」の様子も描かれているのですが、伊織ちゃんの同僚の菜々美さんが、ファンにとっての「推し」や「神」とは何なのかについて語るくだりが脳裏に焼き付いて離れなくなってしまいました。そのシーンがこちら。

伊織ちゃんから質問され「推し」について答える菜々美さん

『明日、私は誰かのカノジョ』10巻より ©️Hinao Wono/Cygames, Inc.

自分は人付き合いを大変に感じることが多いのですが、この作品を見ていると、「ああ…人間って、自分は干渉せず神の視点で見ているとこんなに楽しいなんて!人間って…面白!!…」と、まさにマンガ『DEATH NOTE』のリュークの気持ちになってしまいます。

もちろん、これは個人的な見解で考え方は人それぞれですが、この作品を通して確かに感じたのはただひとつ、自分を幸せにできるのは最終的に自分だということ。

誰かや何かに頼ったり思ったりすることで道が開くこともあるけれど、それは助けでも救いでもない。信じることと期待することは似て非なるもの。揺るがぬ自分になるため、あらゆる物事を心の糧としてゆきたい。

そう私は感じました。

まだまだお話は続くので今後どうなるのかはわかりませんが、幸か不幸かはさておき、彼女たちが納得のゆく人生を送る事ができることを心より願っております。

じゃあ、皆さん、お時間なので、最後に一緒に笑いましょう。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。