「あの子は変だよ」学校になじめず不登校に…広瀬香美は別世界に行き"最高潮"な自分を手に入れた

「小学校2年生ぐらいの時から、中学を卒業するまで学校にはなじめず、非常につらい毎日を送っていました。子どもにとっては学校の世界が全てですからね。学校に行きたくなくて、体調を崩して入院までして……本当に長い間、暗黒の中にいました」

1992年にデビューし「ロマンスの神様」や「ゲレンデがとけるほど恋したい」などのヒットソングを手掛け「冬の女王」「OLの教祖」など数々の異名を持つ広瀬香美は、自身の幼少期をそう振り返る。

「もともとは言葉数が少なく、存在感のない……教室の隅にポツンといるようなタイプでしたから」

「絶好調」でも「最高潮」でもない場所にいた広瀬香美は、どのようにして人の心を熱く沸かす太陽のようなパワーを手に入れたのか?

「私がズレているから

みんな話してくれない」

4歳の時に「オルガンが欲しい」と親にねだったことがきっかけで、レッスンに通い始めた広瀬は、5歳からは音感教育、7歳からは作曲も始め、気が付けば絶対音感を手にしていた。

生活音が全て階名で聴こえ、呼吸をするようにメロディーが頭に浮かぶ。

「みそ汁」という単語を聞くと、料理名よりもミとソとシの音が頭の中を占拠し、「ドラ焼き」は「ドラドラドラ」とドとラの音が鳴り響く。イントネーションも全てメロディーに変換され、それがEマイナーやCマイナーといったコードとして頭にインプットされていった。

幼少期はこの才能が広瀬を悩ませた。自分が異常だと気が付いたのは小学校2年生の時だったという。

「私は、みんなも自分と同じように生活音や言葉がメロディーに聴こえるものだと思っていたんです。ドレミの話をしても伝わると思って話していると、みんなが不思議そうな顔をするのでだんだんと違和感を覚えていきました」

同級生と仲良くなりたい気持ちから「あなたの名前はドミミって感じだよね」と無邪気に話しても、けげんな顔をされてしまう。「あの子は変だよ」といううわさ広がり、1人、2人と距離を置かれた。

自分の状況をうまく分析もできず、上手に伝えるすべもなかった。両親に心配を掛けるのではないかという気持ちが大きく、孤独な気持ちを胸にしまい込んだ。

つらい現実から逃げるように音楽の世界に没頭した。作曲のレッスンでは、毎週「“名曲”を作ってくるように」と課題が出される。

頭をひねって、何度も練り直していくうちに、夢の中でも作曲するようになった。ただ、作曲に熱中すると頭がさえて眠れないことも増えていき、次第に体調を崩すようになった。

音楽を作りたい。それだけなのに。

「熱が出て、過呼吸になり、入院までして……結局親にも心配を掛けてしまうし、学校に行けないので授業にもついていけなくなりました。精神的にも身体的にもずっとつらかったですね」

どんなに検査をしても、これといった病気は見つからない。小学5年生の時、広瀬に言い渡されたのは「モーツァルト病」という医学的には存在しない特別な病名だった。

相変わらず「学校に行くのが嫌だな」と思いながら通学をしていた中学1年生のある日、転機が訪れる。

「和声学の課題で作った曲はこんな感じだったな、あれを弦楽四重奏にしてみたらどうかな」と、いつもと同じように作曲のことを考えながら口ずさんでいると、「これだ!」とひらめいた。

こうして生まれたのが、自身の代表曲となる「ロマンスの神様」だった。「冬の女王」は鬱々とした通学路で芽吹いたのだ。

「ロマンスの神様」ジャケット

「あの時は転調に凝っていましたね。現実逃避していたら生まれたんだと思います」と広瀬は当時を振り返る。

「正しくない」

赤字ばかりの五線譜

音楽科のある高校に進学してからは、絶対音感のある仲間が多い環境に飛び込み、ようやく「特殊な人」のレッテルを貼られることがなくなった。幼少期から音楽漬けの人生を送り、念願がかなったにもかかわらず、孤独が癒えることはなかった。

「学校のメインはクラシック。頑張って課題を提出するものの、全部『正しくない』と修正されてしまう」

赤字でいっぱいになった五線譜を眺めては「私の曲の方がいいのになぁ」と首をかしげた。「学校に行きたくないな」。小中学生の頃とは違う居心地の悪さが胸の奥に芽生えていた。

「ロマンスの神様」同様、通学途中にアイデアが降ってくることはよくあった。広瀬はそのたびに、学生かばんの上でノートを開き、ガリガリと音符を刻んだという。

ある時は歩道橋の上、またある時は校門の前。周囲の目は全く気にならなかった。1st シングル「愛があれば大丈夫」は高校に向かう途中で生まれた。

「愛があれば大丈夫」ジャケット

「私の学生かばん、五線譜の跡が刻まれているんです。思い浮かんだらガーッとノートに線を引いて記録していたので。たまにト音記号が刻まれていて、卒業する頃にはガタガタになっていました。取っておけばよかったと思いますが、卒業する時に殴り捨てちゃいました(笑)」

成績最下位の大学1年生

夏休みに運命の出会い

現役で国立音楽大学の作曲専修に進学するものの、相変わらずなじめない毎日が続いていた。成績は最下位。悶々と過ごしている時、LAに留学中の友人から「こっちの音楽は楽しいよ。遊びに来たら?」と声を掛けられた。

空港に降り立った瞬間、驚いた。

カラリとした空気に、広い青空。広いフリーウェイにチョコレートとポップコーンの匂い。日本では聴こえなかった「和音」が鳴っていた。

「私は空気や感情も音に聴こえてしまうんですが、日本にいる時は、暗い和音がずっと鳴っていたんですね。もしかしたら、それが体に染み付いていたのかもしれない。でも、向こうに渡ったら……全然違う」

「LAの和音に一目ぼれしたんだと思います。まだ何もやってないのに、空港で『私はここに住む』と決めました」

気分が高揚している中、友人に「マドンナっていう人のライブに行ってみない? 人気なの」と誘われ、人生が変わった。

それまでクラシック音楽しか聴いてこなかった広瀬の耳にポップスが響いたのだ。メロディーの構造、沸き立つ観客、自由な歌い方……何もかもが新しかった。

「当時のライブには、学生用の格安席があって22ドルぐらいで行けたんです。ありとあらゆるライブに行きましたね。当時、衝撃を受けたのはジャネット・ジャクソンかな」

ポップスを聴いているうちに、ある考えが広瀬の頭に浮かんだ。「私が今まで作ってきた楽曲は、この人たちに歌ってもらったらいいのでは?」。クラシックの世界で「違う」と言われ続けたメロディーは、ポップスの世界であれば合うような気がしたのだ。19歳、大学1年生の夏だった。

「マイケル・ジャクソンが人気だったので、彼に歌ってもらいたいと思いつつ……まずはジャネット・ジャクソンから攻めようと思っていましたね。偉そうな感じで(笑)」

「先生、私はLAにいるので

課題は郵送で提出します」

ポップスを浴びることで生まれた楽曲は多い。「promise」や「ストロボ」はライブの影響を受けて作った。特に一番印象に残っているのは「DEAR...again」だという。

「DEAR...again」ジャケット

「フリーウェイを走っていた時に、ワム!の楽曲が流れてきて『これは一体どういうことなの?』と思ってしまって、路肩に車を止めて集中して聴くことにしたんです。悔しくて涙が出てきた」

「自分の楽曲に無根拠な自信があったものの、ワム!に遠く及ばない。家に帰ってもう一回泣いて、彼らの曲を全部楽譜に落とし込んで、どういう構成なのかを分析しました」

「『ああ、こういう作りなんだ』と理解しながら『これを超える楽曲を作ろう』と思ってできたのが『DEAR...again』。対抗心を燃やして作った曲はいっぱいあります」

大学3、4年の間は極力LAで過ごすことにした。「私はLAにいるので、課題作品は郵送で提出します」と自ら大学に交渉し、なんとか単位をとった。この提案を聞いてもらえなければ「きっと大学をやめていた」という。

「OLの教祖」は

女性誌から生まれた

LAで過ごすための資金をためるため、日本のレコード会社にデモ音源を送った。作曲家としてデビューするのが夢だったが、デモ音源の声が評価され「歌手デビュー」が決まった。

デビュー直後から「ロマンスの神様」や「ゲレンデがとけるほど恋したい」など、ヒットに恵まれ、気が付けば「OLの教祖」「冬の女王」と呼ばれるようになった。ゲレンデで流れる多くの楽曲は、太陽がさんさんと降り注ぐLAで生まれたものや、幼少期に悶々としながら作ったものだった。

「ロマンスの神様」では仕事終わりの合コンをベースにした世界観を打ち出し、「週休二日 しかもフレックス」といったOLワードが女性たちの心をつかんだ。LAで暮らしている広瀬とは縁遠い単語たちは、女性誌から習得したという。

「多分その時代に向けたコンセプトがあったのだと思いますが、私は会社勤めしたこともないのに、レコード会社から『広瀬さんはOLです』と設定をもらったんです(笑)。『OLの気持ちは分からない』と言ったら、女性誌を読みなさいと返されたので、ずっと読みふけっていましたね」

「女性誌は言葉遣いから何まですごく面白くて、飛行機の中でもLAでもずっと読んでいました。読みあさっているとだんだん気分は誌面の人になってくるんですよ。モデル気分で歌詞を作っていました(笑)」

「私は作曲経験こそありましたけど、作詞経験は皆無だったので先入観もプライドもなかった。だから『OL風の歌詞』というオーダーを受け入れられたんだと思います」

作曲家志望の広瀬は楽曲提供にも力を入れてきた。TVアニメ「カードキャプターさくら」のOP「Catch You Catch Me」は「これこそ私がやりたかったこと!」と確信した仕事だったという。

「女性誌の世界から飛び出して、少女漫画が好きな子たちに向けて、初恋っぽい単語をちりばめました。違う世界から楽曲を作れるのは刺激的で新しくて、とてもドキドキしました。あの頃から楽曲提供に力を入れていった記憶があります」

Twitterはヒウィッヒヒー

バズった裏側で…

違う世界に行きたいという気持ちは、広瀬の行動によく表れる。Twitterが普及する前に「降臨」し、ブームの火付け役になったのは2009年のことだ。

友人である勝間和代に勧められアカウントを開設。Twitterの「t」の文字が、カタカナの「ヒ」に見えることから「Twitterはヒウィッヒヒー」と源氏名を提案し、バズを生み出した。

「それまでCDがどれだけ売れたと聞いても実感がなかったのに、Twitterの反応を見て初めて理解できた」と過去のインタビューで語るように、広瀬にとってSNSは違う世界への突破口だった。

しかし当時はまだ芸能人がSNSを使って発信をすること自体が珍しかったため、レコード会社含め、スタッフには迷惑を掛けたと反省する。

「前例がないので、レコード会社の偉い人たちに呼ばれて話し合いました(笑)。広瀬香美という存在は、私1人だけではなくてスタッフのことも背負って発信しなくてはいけない。このことを私は理解できていなかったんです」

「アメリカで性格がガラッと変わったので、人から学びたいし、話を聞きたい気持ちが強かった。Twitterは自分にしっくりきた場所でした。ソフトバンクの孫社長とか、普段話せない人とも交流できて楽しかった。炎上もしましたけど、同時に耐性もつきました」

「歌ってみた」アレンジが

ひときわ明るい理由

コロナ禍の2020年にはYouTubeで人気楽曲を弾き語る「歌ってみた」を披露。演奏前に「この楽曲のここが素晴らしい」と解説をいれ、その後に広瀬香美流にアレンジしたカバーを歌い上げる姿は、たちまち話題となった。

King Gnuの「白日」、Official髭男dismの「Pretender」などを投稿し、2021年にはアルバム「歌ってみた 歌われてみた」をリリースするまでに至った。

「歌ってみた 歌われてみた」ジャケット

「すてきな曲を聴いたらそれを分析して自分なりにアレンジするのは、私にとっては小さい頃からやってきたこと。『ああ、米津玄師さんってすごいな』と思ったら、いったんコピーして弾いてみる」

「『どうやったら米津さんのような美しい違和感が出るんだろう?』と分析していくと、自分にない手法で楽曲制作をしているのが分かって楽しいです」

「歌ってみた」シリーズで印象的なのは、広瀬香美流の明るいアレンジだ。悲しく切ない楽曲も、太陽のように歌い上げる。

「私が音楽を続けているのは、世の中を明るくするためだと思っています。私の声はどう歌っても明るい方向に行ってしまうので(笑)。だからこそ『明日学校に行きたくない』とか『今、しんどい』と思っている人が明るい気持ちになれる一助になりたい」

「これまで、悲しいバラードであっても、最後には必ず光があるように作ってきました。『歌ってみた』も、そういう自分の意識が反映されているんだと思います」

広瀬が明るい楽曲にこだわるのはなぜだろうか。そこにはふたつの理由があるという。ひとつはアメリカで感じた「異質なものを排除しない」雰囲気だという。

「アメリカに滞在している時には、ホームレスの人に食事をふるまったり、草むしりをしたりするボランティアをしていました。アメリカでは車いすに乗っている人や酸素ボンベをつけている人たちが、コンサートに行ったり、パーティーで楽しそうにしたり、生き生きと暮らしていたんですね」

「私自身も最初は英語が話せなかったわけですが、自治体が開催している無料の英会話スクールに行って英語を身に付けました。こういうふうに、マイノリティーであっても普通に暮らせるようにする政策があり、風土がある。日本はどうしてもそこが遅れていると感じるので……歌でなんとかできないかなと」

そしてもうひとつの理由は、自らのバックボーンにある「つらかった日々」にある。

「私自身、多くの日数を孤独に過ごしてきたので、大変なことがあると今でもその時代のメンタルに引き戻されてしまいます。世の中には、つらい思いをしている人たちがたくさんいる。私もそうだったので、虐げられてつらい日々を送っている人たちにとって、ひとつの光でいたい」

デビュー30周年の抱負

「VTuberになりたい」

クラシックの世界からアメリカでポップスと出会い、TwitterやYouTubeなど常に新しい場所で刺激を受けてきた広瀬は、7月22日にはデビュー30周年を迎えた。最近はTikTokでも「ロマンスの神様」がブームとなり「TikTok2022上半期トレンド」で大賞を受賞した。

「最初はスタッフから『TikTokですごいことになっている』と聞いても、信じていなかったんです。何度も言われるので試しにTikTokをのぞきにいったら『そんなの嘘だと思いませんか〜?』とみんなが踊っていたので、思わず『うそでしょ!?』と言いましたね。今の時代って不思議」

TikTokにとどまらず、メタバースにも興味があると目を輝かせる。VRチャットのアバターを使った『ロマンスの神様』が拡散されているのを見て、新しい光を感じたようだ。

「自分のアバターを48体作ってアイドルグループを作ってみたいし、VTuberにもなりたいですね。人生は短いから自分で好きなことを見つけるしかない。好きなことで生きていく道が見いだせたら最高だから、もっと突き詰めていきたい。これから目指すのは、ソーシャルメディアの女王ですかね(笑)」

通学路で生まれた1曲はゲレンデから飛び出し、時代も次元もこえ、今日も誰かを照らし続けている。


広瀬香美

1992年にビクターエンタテインメントよりデビュー。同年に1st シングル「愛があれば大丈夫」を発表後、「ロマンスの神様」「ゲレンデがとけるほど恋したい」「DEAR...again」などがヒット。

冬の楽曲がCMを通して広がったことで、 "冬の女王"と呼ばれる。YouTubeや、TikTokなど“動画の女王”としても活躍。各SNSを合計して、100万人以上のフォロワーを有する。LINE上でファンクラブ「広瀬香美PREMIUM」を展開中。


Staff Credit

Text: 嘉島唯(LINE)

Photo: 黒羽政士

Movie:二宮ユーキ

Edit: 前田将博(LINE)


Articleとは?

NAVERから2022年6月にBeta版としてリリースされた、簡単に表現豊かなコンテンツを作成することができる新しい投稿プラットフォームです。写真、イラスト、動画、音声、テキストなど、様々な表現に最適化された"Stylizer"を利用し、より美しく表現できます。

https://article.me/about