カルチャーの体感をジップロックする漫画『少年イン・ザ・フッド』

映画のワンシーンやレコードのジャケットも…そこには鉱脈がある

ふとしたタイミングで未知の世界の広がりを垣間見ることがある。鉱脈にぶち当たる感覚だ。たとえば、乗り過ごして降りた駅でいい感じの日本式洋食レストランを見つけたり、たまたま目にしたミーク・ミルのミュージックビデオからフィラデルフィアのダート・バイク・カルチャーの存在に気づいたりするような。

見たことのあるビジュアルが詰まった『少年イン・ザ・フッド』

『週刊SPA !』で連載されている『少年イン・ザ・フッド』はまさにそんな漫画である。団地に住む高校1年生の主人公・森村玄人(ヒロト)が、謎のDJやグラフィティライターの同級生に出会い、平凡な日常が鮮やかに塗り変わっていくストーリーが描かれているのだが、さまざまなカルチャーにつながる鉱脈がコマの中に網の目のように仕込まれている。

『少年イン・ザ・フッド』1~5巻好評発売中

著者:SITE (Ghetto Hollywood) 出版社:扶桑社

テキストやセリフの形で直接言及されていたり、引用されていたりするものもあれば、コマの端っこに、背景に、登場人物が読んでいる本に、あるいは登場人物の織り成す構図に埋め込まれていることもある。

映画のワンシーン、レコードのジャケット、ファッションアイコン、歴史的写真など、膨大なビジュアル・ナレッジのストックを背後に感じさせる。隠されたビジュアル・ディクショナリーといってもいい。

扉絵に隠された膨大なビジュアル・ナレッジ

各回の扉絵は言わば「ビジュアル・サンプリング」になっている。たとえば、Episode 15「モーメント・オブ・トゥルース」の扉絵は、Gang Starrのアルバム『Daily Operation』のジャケットの構図を用いている。​

『少年イン・ザ・フッド』1巻より ©︎SITE/扶桑社

ジャケットでGang StarrのGuruが立つ位置には、ほぼ同じファッションのヒロト、DJ Premierの座る位置にはヒロトの同級生マーシー、マルコムXの肖像画もヒロトが偶然出会った元DJのドゥビさんの肖像に置き換わった構図。ドゥビさんはCYPRESS HILLのハットを被っていて、そこには「You Must Learn!!」というラッパーKRS-ONEの楽曲名と思われる言葉が書き足されている。

さらに細部を見てみると、ジャケットに写っているテーブルには、本が置いてある。アメリカ合衆国におけるアフリカ系アメリカ人のイスラーム組織「ネイション・オブ・イスラーム」の創設者イライジャ・ムハンマドの著書『MESSAGE TO THE BLACKMAN IN AMERICA』だ。

『少年イン・ザ・フッド』ではもう一冊本が置いてある。ポール・エドワーズによる104人のラッパーへのインタビューからなるラップの教科書『HOW TO RAP』。タイトルの位置からすると原著ではなく日本語版だろう。もしかするとこの『HOW TO RAP』が物語の行先を暗示しているのかも知れない。

「You Must Learn!!」というメッセージ?

ここでひとつ引っかかることがある。『少年イン・ザ・フッド』の奥付には参考文献がまとまっているのだが、この扉絵のページの参考文献は ”ギャング・スター「モーメント・オブ・トゥルース」” と書かれている。しかし、扉絵の構図はGang Starrのアルバム『Moment of Truth』ではなく『Daily Operation』のジャケットの構図なのだ。​

『少年イン・ザ・フッド』1巻より ©︎SITE/扶桑社

121ページから始まるEpisode 15は「モーメント・オブ・トゥルース」という言葉から想起されるようなストーリーなのだが、この「参考文献」は何を指しているのだろうか。他の参考文献を見ると、文章の引用などが含まれているのだが、この場合はタイトルやビジュアルの引用に関する記述でもないようである。

コマの中に描き込まれたカルチャーの断片と、あえて少しずらした引用の作法が、背後にある広大なカルチャーを感じさせる。「You Must Learn!!」というメッセージを感じるのだ。

参考文献に記載されていない細部にもビジュアル・サンプリングが満ちている。

『少年イン・ザ・フッド』1巻より ©︎SITE/扶桑社

このトイレの鏡に映り込んだシーンもどこかで見覚えがないだろうか? 探せば探すほどいくらでも出てくる。サンプリングの背景が膨大なので、見る人によって見えるものが違ってくるだろう。様々な時代のカルチャーがジップロックされて詰まっているような感覚なのだ。

ジップロックされたグラフィティライターのリアルな体感

様々な時代のカルチャーがジップロックされている『少年イン・ザ・フッド』。その中でも着目したいのが、グラフィティの体感だ。

作者であるGhetto Hollywood ことSITEは、PUNPEEの『タイムマシーンにのって』などのミュージックビデオの制作から東京ブロンクス名義で執筆業もしている「ヒップホップ何でも屋」である。さらに、神奈川県相模原市のヒップホップ・クルー「SD JUNKSTA」に所属するグラフィティライターでもある。​

作者の経験がベースになっているのだろう。『少年イン・ザ・フッド』では、グラフィティライターの行動がリアルに描写されている。

『少年イン・ザ・フッド』3巻より ©︎SITE/扶桑社

学校から一度家に帰ってからグラフィティを描くスポットを探すシーンでは、「こんな場所があるんだね」と言われるような場所へとたどり着く。グラフィティライターは地元(フッド)の獣道を知っている。明るさ、通行量と紐づいた時間の余裕、そして「チャリマツ」、つまり、自転車(チャリンコ)でパトロールする警察官(マッポ)が来るかどうか。

地元の獣道を知ること、それは言い換えるならば場所と会話することである。デザイナー・阿部航太氏がブラジルの4都市で、現地のグラフィティライターを取材したドキュメンタリーコミック『Landscape of the cities 都市の風景』で描かれているようなライターの実感だ。​

大事なのは、その場所と会話をすることだと思う。何かを負わせたり、ステッカーを貼ったりするんじゃなくて。

阿部航太『Landscape of the cities 都市の風景』より

https://handsawpress.stores.jp/items/5f7bea678f2ebd67f0a0a0a1

地元の獣道を知るにはとにかく歩き回ることである。大山エンリコイサム『ストリートアートの素顔 –ニューヨーク・ライティング文化–』(青土社)には、「ニューヨークで最初に有名になったライター」であるTAKI 183についての記述がある。

高校に通うために地下鉄を利用していたTAKI 183は、通学の道すがら様々な場所で描いていた。放課後にはデリバリーボーイの仕事でさまざまなエリアを回っていたため街の獣道を熟知していたのだろう。配達先では荷物を電柱にあてて死角をつくって描いていたという。

TAKI 183が通学の道すがらや配達先で描いていたように、グラフィティはライターがその場にいたことの痕跡でもある。『少年イン・ザ・フッド』でも警察官から逃げるライターが一瞬とどまった場所にサインとして使う「タグ」を残すシーンは印象的だ。

『少年イン・ザ・フッド』1巻より ©︎SITE/扶桑社

現場の応酬からテクニックまで…もはやグラフィティの教科書

その場所にいたことの痕跡を示すということは縄張り争いにもつながるということである。作中ではライター同士のバトルも描かれている。相手のグラフィティに上書きする「ゴーイングオーバー」の応酬だ。

自分がいた場所に見知らぬ相手が来たという痕跡がはっきりと残されるのは怖いものだ。怒りや恐怖といったライターの感情まで描かれていることが、ライターではない読み手にとってのライティングの体感を追体験する強烈なトリガーになっている。​

『少年イン・ザ・フッド』3巻より ©︎SITE/扶桑社

『少年イン・ザ・フッド』では、TAKI183が配達する荷物で死角を作ったような、ライティングのテクニックも生々しく描かれている。「ゴム手忘れず顔にゃバンダナ」とSD JUNKSTAのNORIKIYOがライティングをテーマにした楽曲『カナガワボミン』でラップしていたようなスタイル。「今日は日本缶しかないしフィルイン(中塗り)は2本使いで一気に決めてやる」という描く前の思考から、「スプレーは一定方向に吹いてムラにならないように…」という描いている最中の意識まで。

『少年イン・ザ・フッド』1巻より ©︎SITE/扶桑社

ライター同士が同じ場所で肩を並べてライティングするシーンも登場する。そこでは「俺がアウトラインで描いている間に中塗り仕上げやがった」と、経験豊富なライターが描く「速さ」についての描写や、ライター同士が意識し合う様子も描かれているのだ。

ライターの体感だけでなく、ライティングの歴史にまで踏み込んでいる。グラフィティの教科書といってもいいだろう。ニューヨーク・タイムズが掲載したTAKI 183の記事までコマの中に入れ込まれている。果てには、グラフィティの描き方を事細かに解説する学習漫画のスタイルをサンプリングしたグラフィティ講座も登場する。​

『少年イン・ザ・フッド』3巻より ©︎SITE/扶桑社

埋め込まれたカルチャーのコードを解読せよ!

『少年イン・ザ・フッド』を読むときには、常に、漫画のページの背後にある何かを感じるはずだ。読み返していくうちに気づく違和感もある。他のコマと印象の異なるコマを見つけた時に、素通りできなくなるだろう。

この作品には、ビジュアル・サンプリング、グラフィティだけでなく、膨大なカルチャーのコードが埋め込まれている。引用の織物、鉱脈を編み合わせた光り輝くネットワークである。

全てを解読することは難しいし、もしかすると誰もわからないようなところから引っ張ってきたイメージもあるのかも知れない。それでもいい。これから触れる映画や音楽、本の中で、いつか見覚えのある光景に出会うことがあるかも知れない。その時はまず『少年イン・ザ・フッド』をもう一度手に取るだろう。その瞬間が楽しみで仕方がないのだ。


Written by

有地和毅