架空の"1945年以降"が舞台 荒廃した日本描く漫画『生活保護特区を出よ。』

TVODパンス 物語に感じるねじれたノスタルジー

1994年に刊行された村上龍の小説『五分後の世界』を、おりに触れて読み返す。

第二次世界大戦で、1945年の時点で「降伏していなかったら」その後の日本はどうなったか、という平行世界を描いたフィクションだ。そこでの日本人は地下に居住空間を建設して、各国に分割統治された地上に駐留している国連軍とゲリラ戦を継続し続けている設定になっている。

単純に読み物としての面白さもあるのだけど、同時に、いまこのタイミングで読み返すと、小説が書かれた「1990年代の日本」の社会が浮かび上がってくる。

物語の中の日本軍は勇敢に戦い、しかもみんな有能である。戦争によって日本人の数はわずかになってしまったが、非常に聡明で、「現代」からこの平行世界に迷い込んできてしまった主人公は、その姿に感銘を受けるといった具合だ。

1990年代の日本人はすっかり倫理観も美学も失ってしまっており、自分たちが失ってしまったものを平行世界の人々は持っているとして対比が強調されるわけだが、こう書くと2020年代からの視点では、なんだタカ派(これも死語か……)小説じゃないか、と眉をしかめられるかもしれない。

まあしかしこのようなモードが1990年代にはあったのだ。

1994年にはミスター・チルドレンの『everybody goes 〜秩序のない現代にドロップキック〜』なんて楽曲もあった。

自分たちの生きている今の日本は無秩序だから、それを批判し、失われたものを取り戻さなければならない。そんなうっすらとしたメッセージが流行っていた。その思考の一部はのちに「右傾化」することで社会を席巻することになったのだが。

過酷さと平和が混在するもうひとつの日本

ずいぶんと関係なさそうな話から始めてしまったが、今回、まどめクレテックの漫画『生活保護特区を出よ。』を読んでみて、私たちは1990年代からずいぶん遠くに来てしまったなと再確認させられたのだった。ってもう20年以上経ってるので当然ではあるのだけど……。

『生活保護特区を出よ。』1〜2巻 ©️まどめクレテック/リイド社

本作でも、「1945年以降に作り出された」架空の日本が舞台になっている。

戦争によって荒廃した日本は、東京を「新都トーキョー」として復興するのと同時に、生活能力がなく自立が困難な者が収容され、衣食住が保障される「生活保護特区(俗称マントラアーヤ)」を設置した。

新都トーキョーの中流層で育った高校生フーカは、国勢調査で能力不振と判断され「特区行き」を余儀なくされる。

「私トーキョから特区行った人見たことないし」と口にしていたフーカだったが… (『生活保護特区を出よ。』1巻より)

©️まどめクレテック/リイド社

特区での状況に衝撃を受けながら生き抜くフーカ……と説明していくと、なるほどサバイバル的なストーリーかと思われそうなのだが、全然違うのだ。特区でのフーカやその周りの人々はさまざまな「能力のなさ」を抱えながら日々を生きているが、彼らの共同生活には穏やかな側面がある。

インフラがガタガタで、倒壊しそうなアパートに住み、環境は実に過酷だ。しかし特区の中でラジオ番組をやってみたり、祭りが行われたりと、平和でそこはかとなく楽しそうな生活も描かれる。少し前に流行った「日常系」の要素も垣間見られる。

過酷な環境の中でも明るく生きる特区の住人たち(『生活保護特区を出よ。』1巻より)

©️まどめクレテック/リイド社

なぜこの物語にノスタルジーを感じるのか

この物語を私たちはどう受け止めればいいのか、少し奇妙な気分にさせられる。

過酷ながらも平和な生活ーーという設定は、ノスタルジックな感情を喚起する。しかしそれは、例えば西岸良平の漫画『三丁目の夕日』のような、慎ましくも希望にあふれたあの頃(昭和30年代)、といった形式でのノスタルジーではない。

生活保護特区には希望がないからだ。そうなると、むしろ似ているとしたら「現代の日本」そのものではないかという気もしてくる。

"新都トーキョー以外の世界"に触れることでフーカが初めて意識した社会は、現代日本の姿を彷彿とさせる(『生活保護特区を出よ。』2巻より)

©️まどめクレテック/リイド社

現代の私たちの生活で日々求められる能力、そこから生じる多忙さ、焦燥感。それらを抜いた静かな世界を現出させるとしたら、本作のようになるのではないか。そこにノスタルジー的なものを見出しているのではないか。この物語にはそんなねじれた感覚があるのだ。

生活保護特区に漂う"革命"の気配

『五分後の世界』では「戦後、ありえたかもしれない理想の日本(人)」が、『三丁目の夕日』では「かつてあった(とされる)戦後の理想的な生活」が描かれた。

しかし、2022年を生きる私たちにはそれらに何らかのシンパシーを持ったり、目標を仮託したりすることがすっかり難しくなってしまった。

本作は、そんな現代において読者に寄り添う要素にあふれている。しかし、「寄り添う」だけ、シンパシーをもたらすだけで良いのか、とも思う。

現在、連載中の本作には「貧困、差別、格差をめぐる癒しと革命の物語。」というコピーがあってそこが気になる。

トーチwebより ©️まどめクレテック/リイド社

革命があるとすればそれはどのようなものになるのか。単行本を最初手に取った時はその同人誌のような、カバーなし、手書きのロゴといった装丁に驚いてしまったのだが、意図されているであろうこの不安定な手触りから何が生み出されるのか。

期待したい。


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TVOD