TERUが避けた「愛してる」の詞、40代で芽生えた覚悟。GLAYが人生懸け届ける"社会へのメッセージ"

「賛否両論あると思います。けど僕らは、それを覚悟の上で発信していますから」

GLAYのボーカルであるTERUは、楽曲への強い思いを口にする。

「くだらない夢想に巻き込まれて 歴史の闇が顔を出す

無力な自分の不甲斐なさを それを許す心を問え」

バンドにとって60枚目のシングルとなる「Only One,Only You」には、社会に対する強烈なメッセージが込められている。

「Only One,Only You」ジャケット

1988年に結成、1994年にCDデビュー。1997年発表のベストアルバム「REVIEW 〜BEST OF GLAY〜」が当時の売上の日本記録を樹立。

2年後の1999年には幕張メッセの特設ステージに20万人を集めてライブを行い、"国民的バンド"のポジションを揺るぎないものにしたGLAY。

デビューから20年以上、日本の音楽シーンの先頭を走り続ける。それは否応なしに、社会情勢や事件に影響を受け、リアクションを求められるという"ロックスターの宿命"の足跡でもある。

厳しい現実、不透明で確証のない未来を前に、GLAYは何を思い、社会に何を突きつけようとしているのだろうか。


他人事だった海外の事件

「『Only One,Only You』の歌詞を初めて見たとき、TAKUROには"とにかく伝えなくちゃいけないこと"があるんだなと思いました」

GLAYの楽曲の大半はTAKUROが作詞を担当しているため、彼の思考がダイレクトに反映される。

TAKUROから「届けたい曲がある」とデモがあがってきたのは、ロシアによるウクライナ侵攻が始まってすぐのことだった。

過去にはイラク戦争への思いを歌詞にした「CHILDREN IN THE WAR」もあったが、ここまで明確に"反戦のメッセージ"ともとれる楽曲がシングルのリードトラックになるのは異例だ。

「レコーディングにあたって、歌詞の意味を話し合うようなことはしないです。一緒にご飯を食べながら『昨日のニュース見た?』と話すような、日常会話の中でお互いが考えていることはわかっているので。40代を過ぎてから、特に社会情勢についての話題が多くなりました」

ブレイクのきっかけとなった「グロリアス」や、100万枚を超える大ヒットを記録した「HOWEVER」など、初期の代表曲はラブソングが大半を占めていた。

楽曲の世界観がプライベートな視点から大きく広がり、現在のように社会との接点を持ちはじめた第一歩は、2001年の「GLOBAL COMMUNICATION」だろう。

「GLOBAL COMMUNICATION」ジャケット

「デビューシングルはYOSHIKIさんにプロデュースしてもらって、ロサンゼルスでレコーディングしたんです」

「その後も海外での活動が増えたことが刺激になって、今までは日本の小さなコミュニティの中で考えていたのが、だんだんと世界で起きていることを気にするようになりました」

「ONE LOVE」ジャケット

同年11月に発売されたアルバム「ONE LOVE」のレコーディングもニューヨークで行われた。作業が完了した翌月、世界が大きなショックを受けたアメリカ同時多発テロ事件が起きてしまう。

「それまでは、海外の事件はどこか他人事だったというか。例えば湾岸戦争のときは"テレビの中で花火が飛んでいる"みたいなイメージしかなくて、これが戦争だと実感できなかった」

「でもインターネットが普及しはじめて、自分から情報を取りにいくことができるようになって。そこから『ONE LOVE』という言葉も生まれたし、テロを経てさらに世界に向けてメッセージを発信しなくてはという気持ちも強くなりましたね」

2003年3月19日の朝日新聞に掲載された意見広告

2003年にはGLAYとして朝日新聞に反戦広告を掲載、反戦サイトもオープンさせた。しかし、好意的な反応ばかりではなく「偽善だ、売名行為だ」という批判にもさらされたという。

「こういった発信をすることで世間からいろいろな反応があることは理解していましたし、発信することで家族やスタッフにも影響が出るかもしれない」

「躊躇しなかったと言えば嘘になりますけど、TAKUROが確信を持って先陣を切ってくれたので、メンバー全員納得して行動できました」

社会的なアクションを起こす上で、X JAPAN・HIDEさんの骨髄バンクへの支援や、坂本龍一が中心となり地雷根絶キャンペーンの一環として作られた「ZERO LANDMINE」など、先輩ミュージシャンからの影響もあった。

「バンドが社会的なメッセージを出すというのが、当時はまだタブー視される風潮がありました。でも先輩たちの活動を見ていて『自分たちも声をあげていいんだ』と思えたんです」


SNSでの発言力 感じた危うさ

時代が進むにつれ、日本でも音楽以外の場でアーティストが直接声をあげる機会が増えた。SNSでも気軽に自身の意見を発信できるようになった一方で「危ないのは僕たち世代」だと、TERUは警鐘を鳴らす。

「若い人たちの方がネットに対するリテラシーが高い。誹謗中傷問題もそうですし、情報に対してまず冷静になって何が正しいかを自分で考えることが必要なのは大人の方だと思います」

自分自身の発言力の強さに危うさを感じたこともある。2011年、日本中が不安に包まれた東日本大震災での出来事だった。

「原発事故について、多くのミュージシャンがSNSでメッセージを発していて、僕もツイートをしたんです。そこに『私は福島に住んでいます。どうすればいいんですか?』というような短い返信があって」

「東京で生活している自分がついツイートしたことで、傷つけてしまった人も多いんじゃないかとすごく反省しました。より一層、ひとつひとつの言葉に対して責任を持ちたいと思うようになったんです」

GLAYほどの規模感のアーティストともなれば、リスナーやファンも一枚岩とはいかない。ある主張に対して、賛否が分かれる可能性を大いにはらんでいる。

「とても難しい問題ですが、あまりにも慎重になり過ぎて何も行動を起こさないのが一番良くないなと。たとえ良いニュースでも、受け止め方は千差万別だと思うので」

「だから、自分なりにちゃんと勉強して、その中で出た答えをみんなに伝えていくことを大切にしたい。僕らのファンならわかってくれるはず、という信頼もあります」

GLAYの音楽や活動が公共性を帯び"みんなのもの"になっていくと同時に、キャリアを重ねることでメンバーの生活や環境も変化していった。

2001年の「BACK-UP」では「気がつけばもう 人生の3分の1だ」「たった1度の長い旅 後悔はしない」と歌っていたGLAY。当時30歳を迎えたばかりの彼らにとって人生はまだまだ前半戦で、"終わり"を具体的に意識することはしていなかったという。

しかしその11年後。2012年発表の47thシングル「運命論」から、ライフステージの変遷を慈しむ感覚が透けて見えはじめた。

「運命論」ジャケット

「1年365日の95%をGLAYとして生きてきて、ふと振り返ったときに"自分個人としての幸せ"を考えはじめたんですね。それこそ『何歳まで生きられるんだろう?』と」

「40代になると、親も70、80代に差し掛かって、"死"というものがだんだん身近になってきて。じゃあ、僕は残りの人生何をしよう、どうやって生きていこう、と。それが音楽にも表れるようになったんだと思います。自分の生活の足元を確認するような感覚というか」

"GLAYである自分"も"そうでない自分"も等しく大切にしていく。地に足のついた今にたどり着くまでには、両者が上手く一致せず、自身が作詞する際に「愛してる」という言葉を使えなかった時期もあった。

「TAKUROの詞なら平気で歌えたんですけど、自分が書くとなると恥ずかしくなっちゃうというか。なんだかしっくりこなかったんですよ」

「その後事務所から独立したことも重なって、一人の大人として、男性として、社会人としてちゃんとしなきゃなって思うようになって、自分の詞で『愛してる』と歌えるようになった気がします。嘘偽りのない、自分の言葉なんだと思えるようになったのかもしれないです」

20代から順風満帆に成功への道を駆け上がったイメージのあるGLAY。しかしTERUの口からは「自分たちが納得できる活動ができるようになったのは40代」という意外な言葉が飛び出した。

「それこそ1999年の20万人ライブの頃は、自分たちがぽつんと真ん中にいて、周囲がぐるぐる回っているような気分でした」

1999年 幕張メッセで開催された20万人ライブ

「それでものみ込まれずに、足の指で地を握りしめて"絶対にここは動かない"という覚悟でやってこられたのは、この4人だったからなんだと思います」

「今が一番、ミュージックシーンの流行なんか気にせず"GLAYの音楽"に自信を持てていますね。これでしか生きられないという覚悟を持てたのが40代でしたから」


DNAに刻まれた "バンド=ライブ"の意識

今年7月13日、メジャーデビュー後通算1000回目となるライブを大阪城ホールで迎えたが「まだまだです」とTERUはさらに先を見つめる。

「JIROのところに、彼のお姉さんから電話があって。『1000回おめでとう。でもALFEEさんは2800回だよ』って(笑)。僕たちの2倍以上ですから。先輩たちにはかなわないですね」

インディーズ時代は、ライブで共演したバンドのファンを自らの演奏で引き込むという、最もシンプルな手段でファンを獲得していった。そこで育まれた闘争心は国民的バンドとなった今でも変わらずに燃え続けている。

「"バンド=ライブ"という意識が自分たちのDNAに刻まれてます。バンドが健康な状態でいるためにも、アウトプットが必要で。コロナ禍で思うようにライブができないときに、『配信でもいいからやってみよう』と引っ張ってくれたのがTAKUROでした。リーダーとしての存在の大きさを改めて感じましたね」

函館で開催された「GLAY × HOKKAIDO 150 GLORIOUS MILLION DOLLAR NIGHT Vol.3」岡田裕介/田辺佳子

GLAYが大切にしているものといえばもう1つ、彼らの地元である北海道・函館がある。2022年5月、TERUは函館の魅力を発信するYouTubeチャンネル「GENTEN.HAKODATE」を開設した。

「函館にスタジオを作ったので、頻繁に帰るようになったんです。函館はやっぱりとてもいい街なんですよ。今はコロナで観光客がぱったり来なくなってしまって、商売されてる方々も厳しい状況が続いているから、少しでも函館の良さを伝えていきたいと思ってます」

函館で開催された「GLAY × HOKKAIDO 150 GLORIOUS MILLION DOLLAR NIGHT Vol.3」岡田裕介/田辺佳子

GLAYには函館の冬景色からインスパイアされた曲も多い。メンバー全員に共通する原風景として、音楽性の根幹に関わっているという。

「『Winter,again』のレコーディングで、TAKUROから『(国道)5号線沿いのさ、桔梗町の街灯のあたりの感じ』って説明されて、みんな『ああ、そういう感じか』とすぐ理解できましたから(笑)。その冬の寒々としたイメージが、GLAYの音になっていくんです」

「Winter,again」ジャケット

同じ時代、同じ場所で育った4人。同じ季節感を共有しているからこそできるサウンドメイクだ。

「今でこそ函館の夏も暑いですけど、僕らが高校生の頃は、海に入ったら寒くて唇が紫になるくらい涼しくて(笑)。だからGLAYのサマーソングはどこか涼しい感じがするでしょ?沖縄出身の人が作るサマーソングとは違う。それが面白いですよね」

「函館を愛してほしいという気持ちが強い」と語るTERU。ファンからの「函館で聴くGLAYは最高」という一言が何よりも嬉しいとほほ笑む。

「実際に函館に来てみないとわからないこともきっとありますからね、盛り上げていきたいですよね。…よく聞かれますけど、市長選には立候補しないですからね(笑)」


ファンにいつだって夢を

「34年、GLAYとして続けてきたから見られた景色があった。だからこそ、この先世界が本当に苦しい状況になったとしても、『GLAYのライブに行ったら元気になれるね、幸せな気持ちになれるね』と言ってもらえる存在でい続けたいですね。メンバー全員健康で、今の関係性を保たなくちゃな」

幾多の困難を乗り越えてきた4人の絆が、いつか壊れてしまうような未来はありえるのだろうか。

「大喧嘩はないですけどね。こないだもTAKUROと一緒に飲んでるときに、考え方の違いでぶつかってお互い気分悪く解散したんですけど、翌朝にはLINEで『昨日はごめんね』って謝ったんで(笑) 。小喧嘩くらいならしょっちゅうですから」

GLAY アーティスト写真

どう考えても仲が良すぎる4人には、明らかに杞憂だったようだ。

バラ色の未来が待っているとは必ずしも言えない時代に、それでも4人で変わらずやり続ける。これまで積み重ねてきたことを、ひとつひとつ高めていくその先に、100枚目のシングル、2000回目のライブという節目がおのずとやってくる。

「僕らはファンと幸せを共有しながら歩んできたバンドなんです。だから『2000回目のライブに居合わせたいから、私も頑張ろう』と思ってもらえるような関係性をこれからも築いていきたい。いつだって夢を見せられるバンドでいようと思います」


Staff Credit

Text: 張江浩司

Photo: 黒羽政士

Movie: 二宮ユーキ

Edit: 前田将博(LINE)、荒川のぞみ(LINE)


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Written by

LINE NEWS編集部