震えたのは心か身体か odolの異例な舞台から「感動」とは何かを考える

確かに感じた、特別なもの。

建物へ入るたびに体温を計測される社会を私たちは生きている。

しかし、心の体温の微かな変化は何にも測れない。

目に見える形で表せないものを、私たちはすぐに忘却してしまう。

だから、あの日の感動をなんとか文字にして残しておこうと思う。

意外な発想から生まれた「ライブパフォーマンス×舞台」

10月4日、19時半。SHIBUYA PLEASURE PLEASUREで観た『odol ONE-MAN LIVE 2022 ”individuals”』のこと。

odolは2014年に結成されたバンド。東京藝術大学出身の森山公稀さん(ピアノ、シンセサイザー)による現代音楽、クラシック、アンビエントミュージックなど多彩な要素を混ぜ合わせた音に、ミゾベリョウさん(ボーカル、ギター)が身の回りにこぼれ落ちている物事や心情を掬い上げた詩を乗せて、アート性とポップネスが同居した音楽を鳴らす。「ポップス」という枠組みの中で新しいものを創ろうとする実験精神を基盤に、生活に対する目覚めを聴き手へ与えてくれる曲を作り続けている。

昨年6月にメンバー2人が脱退し、現在はShaikh Sofianさん(ベース)を含めた3人で活動中。この日は、ギターに岡田拓郎さん、細井徳太郎さん、ドラムに大井一彌さんという抜群の技術と個性を持つ演奏家たちをサポートメンバーとして迎えていた。

『odol ONE-MAN LIVE 2022 ”individuals”』と題した公演は、普通の音楽ライブとはちょっと違う、いや、かなり違った。演出に石向洋祐さん(POOL inc.)、映像担当に写真家の濱田英明さんが参加し、「ライブパフォーマンス×舞台」というコンセプトで開催。部屋用の照明5つと、2枚の縦型スクリーンが設置されたステージの中で、演奏が繰り広げられた。

そもそも本公演は2日間開催されていて、初日と二日目のサポートメンバーは異なる。それは「演劇の舞台において俳優が変われば劇全体の世界観が変わる」という理屈を音楽ライブで試してみようという、音楽業界では滅多にない発想から生まれたものだった。

さらけだした歌に重なり合って、観客も裸になっていく

幕が上がると、1曲目「狭い部屋」から《言葉は宙を舞い》という歌詞通り、ミゾべさんの身体から発される言葉がメンバーの鳴らす音と演出の星空が満ちたステージの中で舞っていく。

そして2曲目「独り」で、木製の椅子に座って芝居のセリフを言うかのように歌を紡ぐ。観客は皆、立ち上がることもなく席に座ったまま、じっと舞台に視線を向けている。それぞれがミゾべさんの暮らす狭い部屋を覗いているかのようだ。

撮影:濱田英明

odolの音に乗せて届けられる詩からは、彼が住む部屋とか、よく歩く道に生えている木々とか、愛する人の髪型とか、具体的に描写されているわけではないし当然見たこともないのに目に浮かんでくる。歌詞にある通り、《全てが自然と歌になる》ことをソングライターとして研ぎ澄ましながら、生活を素直に描き出しているからだ。

《かつて僕は天才だったんだろう?》《今もまだ俺を信じていたい 今もまだ俺を信じていたい》……いくつもの楽器の音が緻密に重なった演奏に乗せて、自身の弱さや情けなさ、欲望と恥など、人前では隠して自分の部屋の中でだけ裸にするようなものたちを露わにした歌が、続く。

撮影:濱田英明

柔らかさの中に潜む鋭い音や、安定と不安定が入り組んだリズムと絡み合って、いくつもの方向からこちらの心臓を触れてくる。心臓と臍のあいだがじわじわと温かくなる。そして、身体の外側がブルッと震える。

撮影:濱田英明

ミゾベさんが自身をさらけ出した歌から浮かび上がってくるのは、いくもの「ごめんね」と、それ以上の「ありがとう」。そして、弱くて情けなくて恥の多い自分でも一緒に日常を積み重ねてくれる人への愛。その歌にオーディエンス一人ひとりの感情が重なって、いくつもの人生が宙を舞っていた。

私自身も、ライブを観ながら夫のことを思い浮かべた。私は世間的に見れば全然立派な妻ではない。日々の生活におけるいくつもの「ごめんね」と、それ以上の「ありがとう」、そして愛情が、身体の中を蠢いて外へと放出されていく。

撮影:濱田英明

私が音楽編集者として初めてodolを取材したのは6年前。当時の記事を振り返ると、「大切な人の手を握りたくなる」というコピーをつけていた。当時からodolにはその特性があったこと、そして、メンバー脱退などの苦境を乗り越えても、音の自由度と洗練度が磨かれて歌も引き立ったことでそれが深まっていることを確信した。

「感動した!」「震えた!」の正体

最後の拍手が鳴るあいだ、お気に入りの映画を何度も再生するように、この舞台をもう一度頭から観たいと強く思った。当然、舞台は一度切りだ。でもこうして自分の「感動」の中身と向き合い言葉に残しておくことで、きっとこれからも私はあの日の体温を思い出せる。

撮影:濱田英明

情報を摂取して「頭」で喜んだり驚いたりするのではなく、無意識の中で「内臓」や「肌」が何かを感じ取る瞬間。そうした、機械では測れない体温が変化する瞬間を、人は感動と呼ぶのだろう。そんな瞬間は日常においてなかなかないが、私にとっては、音楽と人生が深いところで絡み合った時、その瞬間が訪れる。

SNSのタイムラインで流れてくる「感動した!」「震えた!」の波。その一言の奥には何が起きていたのか。私は、自分の、あなたの、その奥にあるものをもっと知りたいと思う。それを認識し目に見える形にして残しておくことは、時間の流れという逆らえないものに対抗する、人間に与えられた一つの手段だ。