意外な展開の先に読者の胸に刻まれるものとは…高校生たちの日常を描く漫画『スペシャル』

TVODコメカの漫画評 無時間的な癒しと無慈悲な時間経過

※本稿は平方イコルスン『スペシャル』の内容ネタバレを含みます。

「今日と変わらない明日がまたやってくる」という感覚を持つことができたとき、人は「日常」を、安定的なものとして実感する。

「明日すべてが変わってしまうかも」という気持ちを抱えずに済む、同じような毎日の繰り返しとしての「日常」。現実のなかで様々な不安に晒され続ける私たちは、そのような不変の「日常」が描かれた漫画に触れたとき、ある種の安心感を得たりもする。

『ドラえもん』では今日も明日も変わらずのび太はドラえもんに泣きつくし、『ちびまる子ちゃん』ではまる子は永遠の小学三年生だ。無時間的なフィクションには、人間の心を癒すような機能がある。

学園コメディを彩る、特徴強めのキャラたち

平方イコルスン『スペシャル』は、田舎の学校に転校してきた高校生・葉野小夜子が、授業中もずっとヘルメットを被りっぱなしのクラスメイト・伊賀こもろに対して、その理由を「うーん 問いたい」と煩悶する場面から物語がスタートする。

『スペシャル』1巻表紙 ©️平方イコルスン/リイド社

話が進むにつれさまざまなクラスメイトが登場し、繰り返される日々のなかで彼女ら彼らがさまざまなコミュニケーションをとる様が描写されていく。この光景を読む読者としての私たちが当初感じるのは間違いなく、「今日と変わらない明日がまたやってくる」ものとしての「日常」である。

扇風機やら炊飯器やら教室にさまざまな家電を持ち込む地元有力者の娘・大石や、ガソリンの匂いを嗅ぐことに強い快感を見出す藤村など、キャラクターたちはいかにも漫画的でちょっと変わった特徴をそれぞれに持ってはいるが、そこで織りなされる毎日は基本的には穏やかでたわいのない、平穏なものだ。作品を読み始めた読者は、先述したような安心感をまずは強く感じるだろうと思う。

大石が持ち込んだ扇風機を「神」と呼び利用するクラスメイトたち『スペシャル』より ©️平方イコルスン/リイド社

「スペシャル」な存在の伊賀の事情は明かされないまま…

ところで、伊賀は他キャラクターたちより際立って特別な=「スペシャル」な特徴をいくつか持たされている。彼女にはヘルメットを被りっぱなしである(しかも、まれにヘルメットが何故か頭から浮かび上がる)だけでなく、「とても力が強い」という特徴がある。

それも、少し腕力があるとかそういうレベルではない。シャープペンシルを使えば粉々にしてしまうし、ちょっと触れただけで道路標識を曲げてしまうし、要するに「日常」の生活に支障をきたすレベルの、極端な力の強さを彼女は抱えている。

伊賀は海に行きたいと言うが、泳ぐと生態系に影響が…『スペシャル』より ©️平方イコルスン/リイド社

そして物語が進んでもそのことについての理由や事情はほぼ説明されず、友人としての葉野はヘルメットや極端な力の強さについて「問いたい」という気持ちに悩み続けることになる。

クラスメイトたちに訊いても事情を教えてもらえないため思い悩む一方『スペシャル』より ©️平方イコルスン/リイド社

彼女がヘルメットの事情について伊賀にようやく聞くことができたのは第32話、単行本第2巻の途中あたり。ここで葉野は、相手の繊細な部分に勝手に触れたくない、しかし友達として相手のことをやはり知りたい、という自らの心情に従うことになった。もしそのことで「日常」が変わってしまったとしても、それでも伊賀に対してコミットしたいという気持ちに、葉野は正直になったのだと言える。

少しずつ揺らぎ始める主人公たちの「日常」

またこのあたりから、恋愛感情や性愛への関心についての言及が劇中で頻出するようになっていく。相手に対する性愛的なコミットメントは、互いの間にある「今日と変わらない明日がまたやってくる」ような関係性を変化させてしまう可能性が高い(例えば、相手からの愛の告白を断ることが、それまでにあった友情の形をどうしても変化させてしまうように)。

葉野に興味を持ち始める男子も『スペシャル』より ©️平方イコルスン/リイド社

実際、キャラクターたちの間に生まれた(もしくは、それまでは可視化されていなかったが表出してしまった)恋愛感情が、彼女ら彼らをすれ違いや混乱、そして成長のなかにいざなうことになっていく。

前述の大石と、メガネで坊主の男子・谷というふたりのキャラクターの(作品序盤では極めてコミカルに描かれていた)関係性が、物語が進むにつれ、それぞれが生きる環境・事情というものの重さを深く感じさせる在り方に変化していくことは、その最も印象的な一例である。たわいのないじゃれ合いを明日もまた繰り返すことができる確信が、作品世界のなかで薄らいでいくのだ。

大石に振り回されていた谷だが、徐々にふたりの間に距離が…『スペシャル』より ©️平方イコルスン/リイド社

物語における「日常」の安定性に揺らぎが生まれ始め、そしてその揺らぎが少しずつ、しかし確実に大きなものになっていくのである。作中における無時間的な感覚はどんどんと薄らぎ、読者は徐々に安心感を奪われていく。

日常が一変…ふたりが辿り着いた葛藤の向こう側

そして物語の最終盤に「強行」されるある計画において、決定的かつ不可逆的な状況が立ち上がる。それまでは水面下に抑えられていたさまざまな暴力が、一気に噴出する。そこで鍵になるのは、葉野がかつて母親と思しき人物から言われた「自分がどれだけ相手のことを考えてても、相手が自分のことを考えてくれるとは」という言葉だったと言えるだろう。

母親とは数年会っていないという…『スペシャル』より ©️平方イコルスン/リイド社

葉野たちのクラスメトである津軽は自分がいわれなく女子たちから嫌われていると思い込んでいたが、しかし「自分がどれだけ相手のことを考えてても、相手が自分のことを考えてくれるとは」という葛藤は抱えていなかっただろう。その葛藤に出会えていたら、彼が暴力の渦のなかで辿り着いた結果とは別の未来もあったはずだ。

そしてこの事態を経験するなかで伊賀と葉野は、「自分がどれだけ相手のことを考えてても、相手が自分のことを考えてくれるとは」という葛藤の向こう側に辿り着くことになる。

伊賀の「一瞬でもさっきみたいに思ってもらえたってことだけで十分嬉しいし一生忘れへんと思う」という言葉は、「今日と変わらない明日がまたやってくる」ような関係の終わりに至って、伊賀と葉野が「一瞬」の強い交感=かけがえのないコミットメントを互いに経験したことを象徴している。

ふたりの関係の在り方をひと言で言い表すことができるような言葉は、恐らく存在しないだろう。しかしそれが絶対的にかけがえのないもの=「スペシャル」なものであるからこそ、生まれてから一度も経験していないと劇中で伊賀が語っていたことが、彼女の身に起こるのである。

突然放り出されるなかで読者の胸に残るものは?

本作では、物語における設定の多くが、劇中では明かされない。結局伊賀が異常な力を持ってしまったことの具体的な事情はどういうものだったのか、「槍」とは何なのか、どうしてあんな計画が「強行」されたのか、すべては謎のまま幕を閉じる。

たしかなのは、「日常」が終わってしまったこと、そしてキャラクターたちの関係性が、もはやかつての「日常」におけるそれには、もう戻れないということだけである。たわいのない平穏な毎日が教室のなかで無時間的に永遠に続いていれば、伊賀と葉野はずっと一緒にいられたかもしれない。

普段、ふたりは好きな本など、互いに好きなものを教え合っていた『スペシャル』より ©️平方イコルスン/リイド社

物語を読み始めたとき、漫画的な特徴を持つ彼女ら彼らのコミュニケーションを見て私たち読者がまず想像したのは、そういう未来だっただろう。

しかしこの作品世界ではしっかりと不可逆に時間は経過し、キャラクターたちは性愛も暴力も感じ取りながら、傷つきながら成長していった。そのような物語の終わりで、私たちは不安な形で、唐突に放り出される。

安心感も癒しも存在しないその地点でしかし、自分のなかに・相手のなかに「スペシャル」なものを見い出すことの喜びと苦しみが、そしてそれを抱えながら生きていくことの希望と絶望が、読者の胸に、きっと深く刻まれるはずだ。