目覚まし時計をかけずに起きる休日の朝。少し前まで同棲していた彼氏が出ていった後の広々としたベッドの上で、閃いたように目を覚まして、天井から降ってきた気持ちを拾い上げるように体を起こした。 「AMH検査行こ。」 AMH検査とは、卵巣予備能検査と呼ばれるもので、自分の身体に残っている “卵子の在庫(数)” を推測するための検査のこと。実際の妊娠には卵子の質も関係するため、まだまだ変数は残されるものの、卵子の残数を計測して平均値と比べることで、例えば私が受診したクリニックでは卵子の残数基準で “子どもがa人欲しいなら、b歳までに妊活を始めれば妊娠の可能性はd%です” という診断をしてもらうことができた。 突然AMH検査に行こうと決断したのは、新しく恋愛を始めるタイミングで、子どもを誰かと持つことになるにあたって、自分に残っている時間をできるだけ正確に知っておこうと思ったし、その重要性を、『妊活夫婦』という漫画で学んだからでもある。 『妊活夫婦』(1) ©駒井千紘/comico 『妊活夫婦』は、不妊治療のリアルを描いた漫画で、私が親愛なる友人と続けているPodcast『りっちゃ・りょかちのやいやいラジオ』で相方のりっちゃさんが番組内で紹介してくれた。 漫画の中では、夫婦が不妊治療に励む様子を紹介していて、あまりにも治療期間が長く費用のかかるステップや、その間に訪れる精神的なダメージ、仕事との両立の難しさなどが丁寧に描かれている。 高額な治療費に加えて仕事との両立は、かなりの負担に……。 ©駒井千紘/comico これはAMH検査でも分かったことだけれど、読めば読むほど、「なんで知らなかったんだろう」と思うことが次々出てくる。例えば、2人以上子どもが欲しいなら、妊活は20代から始めることを推奨されることもあるのだ。 「おいおい、もっと早く言ってくれよ…!」 そう思った
「え、まじ何言ってるかわかんない」 なんだか最近、そう思うことが増えた。たぶん、2022年ほどこんなに「全くわからん」と感じた一年はなかったと思う。 ジェンダー観、仕事観、政治、コロナ禍の過ごし方。 こういったトピックを代表する、答えのない議論を見かけるたびに「なんでこんなことを信じる人がいるの?」「どうしてそんな考え方ができるんだ」「まさかあなたってそんな考えの持ち主だったの?」「え、まじで何言ってるか全然わからん。こんなにわからないものかね」と思うのである。 私たちってこんなにバラバラだっただろうか——そんな風に思っている頃、「Z世代はみんな全然違う個性を持っている(=ひとくくりに出来る存在ではない)」という主張を聞くようになった。この “マスの消失” という現象は、ソーシャルメディアの流行とともに語られはじめた内容で、私も2018年頃に記事で書いていたことがある。 とにかく現代は、一人ひとりが異なるタイムラインを見ているから、服装の趣味も、好きなインフルエンサーも、最近聞いている音楽も、ばらばらになっているという内容だ。 実際、こんなことがあった。とある知り合いが「私は血液型的にワクチンを打たなくても大丈夫なの」と言っていたので、びっくりして理由を聞くと、YouTubeの動画を見ていると教えてくれた。そこで、彼女のスマホの画面からYouTubeを一緒に覗き見したところ、おすすめされている動画が全部怪しい動画ばっかりだったのだ。毎日そういった動画を見ていると、そりゃあ、こちらが真実だと思うかもしれない。 その時思い出したのが、『Social Dilemma(日本語タイトル:監視資本主義 デジタル社会がもたらす光と影)』だ。 Netflix映画『監視資本主義 デジタル社会がもたらす光と影』独占配信中 元・中の人たちが語る「スマホ中毒のレシピ」は必見
SNSやワイドショーを見れば、毎日、誰かが誰かを裁いている。 毎日毎日違う事件を。毎日毎日違う人を。 世の中に出ている情報をもとに、勝手に判断し、議論し、裁いている。 そのうちいくつが真実で、そのうちいくつが嘘だったか わからないし誰も実は気にしない。 そんな世の中にモヤモヤしている人にすすめたい映画がある。 「十二人の怒れる男」という傑作映画だ。 ほぼ全編にわたり一室で展開される“密室劇”の金字塔 この映画は “密室劇” あるいは “ワンシチュエーションムービー” の金字塔と言われている作品で、複数回リメイクもされている。 多少違いはあるものの、どの作品も同様のストーリー展開となっているので、どれを見ても良いし、複数作品を見比べても面白いだろう(私は1997年アメリカでテレビ向け映画としてリメイクされた『 12人の怒れる男 評決の行方』が一番見やすくて好きだ。だが、ラストシーンは最初の映画作品が好き。ロシア版はまだ見れていないのだが、友人はこのロシア版が一番好きらしい)。 『十二人の怒れる男』 ブルーレイ 2,619円(税込) 発売元:ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント 販売元:NBC ユニバーサル・エンターテイメント © 1957 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved. この作品は全編の約95%が、12人の裁判員が容疑者の罪を議論する一室で展開される。議論する事件はこんな感じ。 有名な貧困地域にある線路沿いのアパートで、1人の男性が死亡した。殺人の容疑がかかっているのは、被害者の息子。息子は日常的に父親に暴力を振るわれており、小さい頃に全く別の事件で前科もある。事件当日には、殺害現場の下の階に住む老人が、息子の「殺してやる!」と激怒した声を聞いたという。殺人現場は隣のマンションに
「好きな映画を教えて」とか「好きな本を教えて」と言われると、非常に身構えてしまう。というのも、そういった質問の回答からは、その人の価値観が大いに透けて見えるからだ。 “面白い” という感想は、過去の経験をぐるりと参照して吐き出される感情に他ならない。 多少言い過ぎだと感じつつも偏見を恐れず言うと、だからこそ、好きな映画が同じ人には共通点があるように思う。 例えば、少し前にこんなツイートが話題になった。「文化系女子の元カレはだいたい新海誠が好き」。私も文化系女子の端くれだが、久々に元カレから連絡が来て、何かと思ったら「最近すんごい映画見たんだよ」と新海誠の映画を紹介されたときには、「お、お前もか!」と叫びそうになった。 これは何も、新海誠の映画に限ったことではない。『セッション』とか『アメリ』とか『レオン』とか『インセプション』も、言語化できないけれど「この映画が好きです」と言われると「確かにこの人、この映画好きそう」と思うことがある。 これらもまた、過去の経験を参照した結果の偏見でしかないのだろう。しかし、コンテンツ消費というのは過去の経験が豊富になるほど面白くなる、というのは真実ではないだろうか。 中でも、恋愛経験が豊富になるほど面白くなると思うのが『ラ・ラ・ランド』だ。 ※以降はネタバレを含みます 『ラ・ラ・ランド』©2017 Summit Entertainment, LLC. All RightsReserved. 100%のハッピーエンドじゃないから美しい 『ラ・ラ・ランド』は、そのあらすじからして、いかにも映画的でロマンチックである。 夢を叶えたい人々が集まる街、ロサンゼルス。映画スタジオのカフェで働くミアは女優を目指していたが、何度オーディションを受けても落ちてばかり。ある日、ミアは場末の店で、あるピアニストの演奏に魅せられる。彼の名はセブ(セバス
「京都人ですよね」と言われると、「せやで」と言いつつ人を騙しているような気持ちになる。けれど一方で「ほな関西人ですか」と言われたら、心のなかで「どこがやねん」と思ってしまう。 そんなことを思うのは、私が “いけず”と言われる「京都人」が住むエリアでもなく、何でも笑いに変えようとする「関西人(≒大阪人)」が住むエリアでもなく、「宇治」で生まれたからだ。 宇治といえば、「宇治茶(宇治抹茶)」。そんなイメージを持つ人も多いだろう。しかし、そこで生まれ育った私にしてみると、宇治の魅力はそれだけではない。 そして、その魅力を支えるのは、間違いなく京都でもなく関西でもない「宇治人のアイデンティティ」だ。宇治出身のアーティスト「ヤバイTシャツ屋さん」や「岡崎体育」さんの曲を聞いて、最近気づいた。 京都で生まれたのに「京都人」と名乗りづらい宇治人 京都本などではよく語られる説明だが、人々が「京都人」をネタにしている時、「洛中の人」について言及されていることが多い。「洛中』」とは、時代ごとに変わっていることもあり非常に難しいが、つまりは “都の中”であるから、古くは平安京があったエリアだ(きちんとエリアを定めたのは豊臣秀吉が最初)。京都御所周辺の京都の都会エリアである。 それこそヤバイTシャツ屋さんの『どすえ〜おこしやす京都〜』という曲でも、「洛中と洛外じゃ文化違う」と歌われているが、かの有名な「ぶぶ漬け」なんて、私は見たことさえないし、三代前の家族が何をやってた人かなんて全然知らない。 そして、私のような洛中どころか京都市外(洛外ですらないエリア)の人間から見れば、洛中にいる、いわゆる「京都人」は、洛外の人間のことを「京都人ちゃう」と思っているだろうし、一方、洛外の人間は洛中の皆さんへの思いをこじらせている。 ユニークな歌詞をポップなロックサウンドに載せる3ピースバンド・ヤバい
“食卓” というものがすきだ。 「お酒が好きというよりも、みんなでお酒を飲む場が好きなんです」という人に何度か出会ったことがあるが、それでいうと私は、誰かがつくったご飯を食べる場を愛している。 ほわほわ立ち上る湯気、皿と調和する料理の色味、美味しそうに見えようと張り切って盛り付けられている食材たち。それらはどれも、料理の作り手の思いやりからできている。 食卓の愉しみを教えてくれる『きのう何食べた?』 20代中盤まではもっぱら外食派で、365日ほとんど外食していたが、コロナ禍に伴う外出自粛などの理由もあり、じわじわと年々自炊する回数も増えている。そんな自炊初心者に、自分で作る “食卓”の愉しみを教えてくれたのが『きのう何食べた?』という作品だった。 『きのう何食べた?』(1) (C)よしながふみ/講談社 『きのう何食べた?』という漫画は、ドラマ化もしたし映画化もした漫画なので、きっとこの物語が好きな人は多いと思う。しかし、案外この漫画を「好きな理由」は人によって異なるのではないかと思っている。 ドラマが放送された際には、主人公のシロさんとケンジが男性で同棲していることから、とにかく同性カップルの物語であることが話題になった。もちろん同性カップルの恋愛物語が好きな人もいるだろうが、この漫画の中には恋愛ものにありがちな、いわゆるキスシーンのようなものもない。 そのため、あまりにもこの同性カップルという設定が取り上げられすぎることに違和感をおぼえることもある。性別にとらわれず、ただただシロさんとケンジという主人公二人の仲の良い姿が好きな人もいるのではないだろうか。 さらに、どちらかというと恋愛漫画が苦手な私でさえも惹きつける魅力がこの漫画にはある。私はもはや彼らの関係性が新時代の家族像だとか、そういうことでさえ割とどうでもいい。私は何より、この作品の「食卓の素晴らしさを